晴天の霹靂

びっくりしました

新世紀エヴァンゲリオン ~色々と噂どおりだったけど噂以上だった

「今さら」という言葉にもめげず、ネットフリックスで1995年TV版のエヴァンゲリオンを見終わりました。

いやいや、びっくりした。

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基本的にはウルトラマンとかガンダムに類する「大きくて重たそうなものがガツーンガツーンとぶつかる系」にそれほど熱くなる属性ではないので、前半の方は、そこそこ見るのきついなあ、良く出来てるとは思うけど、まあいい年した大人が初めてみて超夢中になったらかえって妙だもんなあ、くらいな感じで見ておりました。

後半からなんだかいよいよ様子がおかしくなってきて、「ん?あれ?今、主人公がスープになった?」というあたりからは、もうハラハラして目が離せないですよね。

どうも何か説明不能なエネルギーによってのみ突っ走ってるっぽいけど、大丈夫なのか、これは着地するのか?

と思っていたら、噂に名高い最終話の「おめでとう、おめでとう」のシーンで不覚にも声出して笑いつつ、「うそーん、ここに連れてこられるために26話グルグル回ってきたのっ?」という衝撃で終わるという。

いいもの見ました。おもしろかった。なんだったんだ。

 

主人公が14歳であり、まさしく14歳であることが重要な作品であるわけですが、私が14歳の時ってこの世にまだ「エヴァンゲリオン」という作品はないわけです。

それにしてはこの「14歳っぷり」にずいぶん既視感あるなあ、と思っていたら、私の時代にもありがたいことに『地下室の手記』っていう、大人になってから読むとトホホと笑えるけどクソ真面目な思春期の心をシリアスに撃ち抜いてしまう作品がちゃんとあったよなあ、と思い出すのです。

引きこもってる人がいて、ずっと内省的なノリツッコミを続けていても自己像を規定できない、言葉で表現できないからキレやすい、ついでに異性との関わり方もわからないから何もしなくても手一杯。

今思えば退屈を愛でる作品でしたが、自意識暴走の季節には「ああ、これは私のことである」と思って読むものでありました。

 

地下室の手記』をシリアスに読んだあの頃の私にあっては、当時「エヴァンゲリオン」があったらちゃんと真面目にハマったような気がするし、

今いい年になって『地下室の手記』を「やれやれやれ、とほほ」と思いながら結構好きな私としては、今さら見るエヴァンゲリオンも思春期的な意味とは結構違う予感を感じつつも、さすが面白いなあと思うのでした。

 

地下室の手記 (光文社古典新訳文庫)
 

 

  ということで、何十年にもわたってファンを喜ばせたり怒らせたり色々し続けているという噂の劇場版も着々と観ていこうと思っております。