映画『鬼滅の刃』を観たせいで、最近はまた『羆嵐』を読んでいる。
『鬼滅の刃』は冒頭、山深い雪の中でひっそりと暮らす家へな凶暴な何者かが侵入して一家を惨殺する、という超絶スプラッターシーンから話が動きだす。
ささやかな家族が厳冬の中で身を寄せ合っている様子や、常軌を逸する残忍な殺害現場、下手人のまったく得体のしれない様は、吉村昭の『熊嵐』からの流用であり、たいへん印象の強い場面でもあるのだ。
そんなこともあって久しぶりに探し出して読んでいる『熊嵐』は、全部知った上で読んでも、繰り返し読むほどに怖い。
体重380キロもあるヒグマはそれだけで確かに怖いが、読んでいて何より怖いのは冬の夜だ。
開拓時代の北海道の山奥、電気もないところにたった15家族が草葺の家に住んでおり、最寄りの町へ出るまでには泊りがけの距離。
完全な夜の闇と、音を立てずに降る雪、積もれば積もるほど音を吸収していく完全な雪の山の静けさの中で、物音ひとつたてずに近づいてくる見たこともない凶暴な生き物の気配を思いながら読むと、事件の記録小説というよりはSF的な恐怖なのである。
折しも、時は立冬。
日暮れの時間がぐんぐん早くなり、気温もぐんぐん下がっていく最中に読んでいると、肌寒さを伝って当時の三毛別の人たちの恐怖が伝わってくるようで、途中でやめられない面白さだ。
「しかし、布団から出してる手が寒いし、眠いし、私が起きてると猫も寝ないから、もう寝るか」
と思って、文庫本を閉じて、明かりを消して長い夜をようよう眠る。
と、ガシャン!と隣の部屋で派手な音がした。
「すわ、熊かっ!?」
と思ったとまでは言わないが、戦々恐々としたまま寝入ったところなので相当びっくりした。
暗い中を恐る恐る見に行くと、花を活けてあったグラスが下に落ちて割れている。
「お前か……」
数種類の花と一緒に、花キャベツを活けていたのだ。
太い茎に小さな葉キャベツが花のようにボンと一個だけついた面白い花材なのだが、茎がまっすぐ長くて花の部分が大きく重いので、少しバランスが悪いのだ。
珍しがった猫がいたずらをしたら、簡単にひっくり返ってしまったのだろう。
うちの猫は、とくに人間が寝静まって退屈する夜に花にいたずらをしがちなので夜の間は高いところに避難させておくのだけど、時々こうして忘れてしまう。
「いいよ、いいよ、寝る前に片付けなかった私が悪いんだからっ。マロちゃん?」
肌寒い夜、暗い中で、ガラスの破片を広い、こぼれた水を拭き、散った花びらを集め、ガラスの破片がないかどうかを何度も確かめ。
すっかり目がさめてきて、どうかすると不機嫌になりかけるところを、わざと大きめの声で猫を慰める独り言を言いつづけるのだが、どこへ行ったか猫は一向に出てこない。
まずいことした、と思って隠れているのだろう。
可哀想だけど、とりあえず今日のところはこれで寝て、明日の朝ゆっくり仲直りをするとしようよ。
冬の夜は、眠いし寒い。
「ヒグマじゃなかっただけでもすごいラッキーだよっ!」
闇に紛れてすっかり姿の見えない黒猫に向かって明るく叫びながら、肌寒い立冬の夜を眠り直す、あれからたった105年後の、穏やかな北の大地のありがたさである。