顔を見るたびに猫がニャアと鳴く。
猫のことなれば、ニャアと鳴くこと自体に文句があるじゃないが、要するに彼女の主張しているのは「退屈であるから遊べ」ということであり、
気持ちは重々承知だが、こちらとしてもまさか一日中付き合うわけにもいかないのである。
今までであれば暇な折には面倒見の良かった虎猫に飛び掛かっていくことで発散していたのには違いなく、その兄貴分が一匹いなくなったことでこうまでニャアニャア責め立てられることになろうとは、かの猫の静かな偉大さを今更ながら思い知るところである。
一方的に飛び掛かられればプロレスごっこに応じ、ぬうっと鼻の下に頭を持ってこられれば舐めて無聊をかこってやり、ずいぶん仲の良い二匹だと思ってはいたが、人間が愚にもつかないことで忙しくしているのを猫の方で気を使って子守りをしてくれていたのかもしれない。
若くて落ち着きのない猫一匹室内に放っておくとは、こうも手のかかるものだったろうか。
キャットタワーに上っているところに下からスーパーボールを放ってやると、手を伸ばして機嫌よく遊ぶのは分ったが、単調なればやがて人間が先に飽きてしまう。
餌をやれば食べる間は静かになるものの、まさかそんな理由でコロコロに太らせてしまうわけにもいくまい。
子猫のころから面倒を見てくれた兄猫が急にいなくなったショックで数日クローゼットから出てこなくなったにはいたく心配したが、出てきたら出てきたで何かを取り戻すがごとく元気いっぱいであることに今度はこちらが面食らう番なのだ。
ひとしきり人間に構うのに飽きると今度は玄関を向いて案外辛抱強く座り込む。
「どうやったって玄関から一匹で帰ってくることはないよ」
と伝えたくもあるが、同じ心細さを抱える仲間同士として隣に座って一緒に待ってみたいような気もする。
ぽつねんと待つ背中が寂しくて、小さな線香に火をつけてやる。
不思議なことに線香の煙を嫌がる様子はちっとも見せないのだ。