今週のお題「クリスマス」
イベントものには比較的そっけない家庭で育ったように記憶しているけれど、それでも子どもの頃は日本も景気のいい時期で、クリスマスになれば親が会社からホールケーキをもらってきてたし、「目が覚めたらサンタさんが枕元にプレゼントを置いてくれていた!」という演出も何回かやってもらった。
ちょっと不思議だったのはサンタさんというのが超自然的な存在であるならカイロ・レンとレイみたいにフォースチャットでこっちの願望を読み取ってくれるべきだし、そもそも「何欲しいの?」みたいな即物的なことをサンタが知りたがるのって不自然じゃないか。
「ものすごく素敵なものが満ち溢れたデパートみたいな家で生活できるようになる」くらいの漠然とばら色の夢をかなえてくれるのでなければ、わざわざ超自然老人にご足労願った甲斐もないような気がする。
かく即物的超自然老人に若干の不信を抱きつつあった小学校低学年のクリスマス。「サンタさんに何を頼むの?」と陳腐かつ即物的なことを聞かれた私は、「『大きな森の小さな家』」と答えてた。当時NHKでドラマを放送していたアメリカの児童文学で、大人になってからも何度も買いなおしてるくらい面白いシリーズ作品だ。
『大きな森の小さな家』はとても好きだけど、サンタが超能力者なら本を運んでくるのではなく、むしろ私を『大きな森の小さな家』の世界に連れていくくらいのことをするべきなんじゃないか、と思っていた矢先、些細な事件があった。
大学ノートにボールペンで几帳面な家計簿をつけている母の手元を見たら「本代」と言う項目があったのだ。我が家は本を買う家庭ではなかった。思い出す限り、家族の中に新しく買った本を持ち込んだ人をみたことがない。
「そうか、『大きな森の小さな家』はこうやってもたらされるのだな」
と思った。
その年のクリスマスだったと思う。両親が枕元にガサガサとプレゼントを置いてくれてるところで私が目を覚まし、そのまま場を和ませたほうがいいような気がして「あっ、サンタさんだっ!」と叫んだ。たぶんそのまま枕元で開けてみたりしたのだろう。それが、クリスマスにプレゼントをもらった最後の年だったんじゃないかなと思うのだけど、両親に聞くと記憶はまた違ってるのかもしれない。
その後長じて、世の中には、情報には金を惜しまず、家じゅう本だらけというような環境で育つ人も居ることを知る。日本の景気が悪くなるのにともなって「文化資本の格差」なんて言葉も出てくるのを見るにつけ、あの頃家計簿に「本代」と書いてあるだけで特別奇異に見えたことをちょっと悲しい気持ちで思い出すこともないではない。