晴天の霹靂

びっくりしました

『罪の声』~あの頃私達はなぜかシネマ名言集2を読んでいたのか

 

 『罪の声』を観てきました。

2016年に原作小説が出て話題になったときに読んで面白かったことと、脚本が『MIU』『アンナチュラル』など、いつ観てもハズれない野木亜紀子さんだというので、行ってきたんです。

面白かったです。


映画『罪の声』予告【10月30日(金)公開】

 

みんな大好き「グリコ森永事件」で、指示書を読むテープに録音された声の子供たち、あの十代前半の女の子と小学校低学年の少年二人は、今どうしてるのだろうか、という実在の事件をベースにしたミステリー小説です。

私は、星野源の演じた主人公である「三人のうち最年少の子」とほぼ同世代ではあるのですが、それよりも印象が強かったのが「十代前半の女の子」の望ちゃんでした。

 

望ちゃんは英語が好きで映画翻訳家になりたくていつも洋画の本を読んでいる中学生です。

中でも繰り返し読んでいたのが「シネマ名言集2」という本だったので、劇場で変な声を出しそうになりました。

 同じ年代の頃、私もまったく同じ本を持っていて同じくらい熱心に読んでいたのです。

「そうそう、この本おもしろかったよねっ」

と声をかけたいくらいに懐かしい。

『風とともに去りぬ』も、チャップリンの『キッド』も、『第三の男』も、『誰がために鐘はなる』も、『或る夜の出来事』も全部、映画を見るより先にこの本で知ったのでした。

 

今では手に入りにくいであろうこんな本、なぜ、どうしてここに映ってるんだろう。

実際に自分が読んでいたから、こんなふうに思うのです。

これは「80年代と映画と英語」というキーワードで検索してきた本ではないだろうと。

誰か本当にあの時代を生きた少女、脚本家の野木亜紀子さんか、それとも取材対象のうちの誰かが本当に好きで読んでいたんじゃないか。

それは誰だったにせよ、勉強が好きで英語が好きでやりたいことや好きなことがたくさんあった少女なのだろう。

そして面映いことじゃあるが、とりもなおさずそれは自分もそういう少女のうちの一人だった、ということになる。

さらに言えば、この自分があの望ちゃんだったかもしれない、ということをまさに意味するのではないか。

 

大きな野心、とか、大きな正義感、とか、そういう名前の車輪の下になすすべもなく巻き込まれて失われていったすごく小さな物語。

 

不思議ではあるのです。

望ちゃんにしろ、私にしろ、どうして『シネマ名言集1』ではなくて、「2」を持っていたのか。

当時情報の多くなかった地方都市のティーンエイジャーにもわかりやすい有名な作品がたくさん載っていたのが「2」の方で、だからこそ「2」が多く刷られて手に入りやすかったのだろうか。

私は「1」は持っていなかったし、たぶん望ちゃんも持っていなかったのではないか。

「1巻じゃなくて2巻を繰り返し読んでいる」

というところに、強い存在感を感じるのです。

 

2020年はコロナ禍で春以降全然映画に行けていなかったのを、およそ半年ぶりくらいにやっと観たのが『鬼滅の刃 無限列車編』と『罪の声』の二本だったのですが、どちらの作品にも同じメッセージが入ってました。

いわく、力は弱いもののために使われなくてはならない。

大きな野望を持つのではなく、大きな正義を語るのではなく、ただ目の前にある普通のことを守るために地べたにしがみつくように必死で生きる話。

ベースになっているのは昭和最大級の未解決事件のことだったけれど、それが行き着く先は紛れもなく、2020年の今だったのでした。

 

罪の声 (講談社文庫)

罪の声 (講談社文庫)

 

 原作小説。すごく面白いのだけど、グリコ森永事件がそもそも複雑で犯罪グループの人数も多いので、私のように登場人物増えてくるとたやすく混乱するタイプの人は前半読むのが結構たいへん。

2回読んでやっと理解しました。

その分後半からは止まらない面白さ。

 

 

www.nhk-ondemand.jp

原作小説の中にも出てくる、昭和の終わりにNHKが独自に再調査して作ったドキュメンタリー番組。

この内容も踏まえたうえで、さらに小さなほころびを埋めるようにフィクションを作っていったのが原作小説なので、あわせて見るとまた面白いのです。

 

 

今週のお題「最近見た映画」