晴天の霹靂

びっくりしました

フルートの散歩道

近所の公園を歩いたら、急激に新緑に力がこもってきているので驚いた。

じっと力を溜めていた生命にとっての数日ってこれほど爆発的なものか、と目を見張る。

緑が風に揺れると隙間からいっせいに降り注いでくる快晴の青も素晴らしい。

  

下生えが低いために見晴らしのいい木立の間から、ふいにフルートの音色が渡ってくる。

こんなにきれいな五月の木漏れ日の中でフルートを吹く人なんて、本当に存在するものだろうか、と訝れば、その人は実際に人間の姿をして木々の間に立っているのだ。

 

お母さんに手をひかれて向こうから歩いてきた夏用帽子をかぶった坊やが、ついに握った手を離し、笛を吹く人を見てひとり立ち止まった。

立ち尽くす坊やとフルートの間にまっすぐ一本の線が見えるくらいの熱を込めて、音の来る方向をじっと見つめている。

わかる、わかるよ、君。こんなきれいな場所で、きれいな音を出してる人がいきなりいるなんて、ちょっと妙だよね。

新鮮な世界の中にひとり立つあの坊やには、フルートを聴きに集まってきた森の小さな生き物たちが音楽家を取り巻いてうっとりしてる光景までが目に浮かんでいるんじゃないだろうか。

 

笛吹く人を凝視する坊やと、それを凝視する私。

森の散歩道の中に、唐突で不思議な三角関係が出来上がる。

いつか、四十年か、五十年か経った頃、あの子はお母さんの手を振り放して聞き入った森の中のフルートと五月の木々の間を渡る風のことを、なにかの拍子に思い出すかもしれない。

「どうして突然こんなことを思い出したんだろう」と不思議に思いながら、あの音楽家が楽譜を置いていたベンチの色や、背負っていたリュックの形まで、くっきり目の前に思い描いて、もしかしたらあの音色の曲名まで突き止めている。

そういう五十年後が、あの一瞬の中に、閉じ込めてあったんじゃないだろうか。