最近みた面白い映画のはなし。
翻案元であるところのフロベール『ボヴァリー夫人』も、好きな小説なのです。
田舎の百姓の娘のエマは、たまたまちょっと美人、運よく良い教育をうけることができて、田舎医者と結婚します。
恋愛小説と詩が好きな夢見る乙女だったエマは結婚後はばら色の日々が待っていると思いこんでいましたが、実際はぬぼっとしたおじさんと二人きり、まったく何もすることがないままド田舎に閉じ込められ、このまま何も起こらない日々が延々に続いていって死ぬだけだ、という現実に結婚式直後にいきなり気付きます。
それでもばら色の夢を見るエマは、言い寄る男たちと不倫を重ね、ちょっと口のうまい雑貨屋の言いなりにドレスだインテリアだと浪費し、ついには財産と名誉を失い失意のうちに自殺します。
一番引いた見方をすれば「バカ女が自滅する話」って言っても別にいいと思うのですが、自分の心の中にエマが住んでない人の人生ってのもちょっとつまらないですよね。
詩や恋愛小説などの創作物を、これほど没入して味わえる人というのもそうそう居るもんじゃないと思うのです。夢と現実の間で折り合いをつけられなくておかしなことになるのを「ボヴァリズム」って言うのだそうですが、人生って内なるエマとの折り合いをつけてく日々じゃありませんか。
その時代の女に許される活動が刺繍と読書だけだった、というフェミニズム的悲劇の犠牲者としてのエマに焦点を当てすぎて映画化してしまうと、この小説が持っている明らかに人をおちょくったユーモラスな部分が生きてこなくて、暗い話になってしまいがちなのですが、最近みた『ボヴァリー夫人とパン屋』という作品はめちゃめちゃ楽しいボヴァリズムの話でした(やっと本題に入れた)。
田舎でくすぶっている文学好きな枯れたパン屋のおじさんの隣にエマ・ボヴァリーという美人妻が引っ越してきます。パン屋さんは、「大変だっ!エマだっ、エマに悲劇が起こるっ!」と勝手な筋書きでたいそう盛り上がってしまいます。『八つ墓村』の濃茶の尼みたいなもので「たたりじゃー」とかでっかい声で言うとなんとなくその通りに事が進んでいってしまうという、熱量多過ぎる野次馬にありがちな迷惑な現象を起こしながら物語は軽快に進んでいきます。
原作小説のほうでは、すべてを失ったエマが殺鼠剤を飲むのですが、このシーンがまたちょっとおかしい。狭い村で住民同士の事情なんて筒抜けですからエマが絶望的な状況なのがわかっているのに、「ねずみいらずをちょうだい」と言われた薬剤師は渡してしまいます。
ここで刊行から150年間、読者はみな思い続けてきたのですよ。「薬剤師馬鹿だろ」と。
この作中最大のツッコミどころを、このフランス人パン屋さんが瞳孔開き気味に適切に喝破してくれた瞬間のカタルシスと言ったらないのです。
19世紀文学好きには堪らないミドルエイジクライシス文学おじさんの映画、楽しかったです。
「薬剤師が馬鹿なんだ」と声をそろえて叫びながら見たい作品。プライムビデオでみられます。
こちらはかわいそうなボヴァリー夫人。
明らかに身なりが派手になっていって悪目立ちしている妻にまったく気づかない呑気な夫の描写がちょっと面白い。プライムビデオに入ってます。
原作小説。薬剤師と言い、夫といい、キャラクターが漫画チックに軽快でとても面白い。