晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

何を願っているのかわからなくなったらイドリス・エルバを召喚しよう

絶賛話題沸騰中のジョージ・ミラー監督が『マッドマックス 怒りのデスロード』と『フュリオサ』の間に公開した『アラビアンナイト 三千年の願い』っていうちょっと地味な作品がありました。

公開時に劇場で観たのですが、この機会に見直した。

初めて観たときは、頼りないシルエットのティルダ・スウィントンと色気過剰のイドリス・エルバが寄り添って歩くラストシーンひとつでもう堪らないものがあって「いいもん見たなー」と思ったんではありますが、実は全体的にはほぼ意味がわからなかったのです。

 

あれから一年ほど、『怒りのデスロード』をたまに見直したり、新作の『フュリオサ』を観たり、こっちはこっちで一年歳をとったりしているうちに、自分の欲望がわからなかったティルダ・スウィントンが、本当の願いを自覚できるようになるまでの話だということが見えるようになりました。やっぱしみじみいい話。

 

ティルダ・スウィントンが、何を願っているのか自分でもわからないし、あまつさえ願いが叶うことは何かの罠だろうとすら思っているのは自分がそれに値する人間ではないという内的規範に縛られてるからで、その空虚さからの解放にはまず本当の自分の物語を語ることが必要。その連綿と語り継がれてきた女性神話はこちとらも心当たりがありすぎて、直視が切ないところです。

 

それはそれとして、この作品を見直してから私もイドリス・エルバ召喚のために、いかがわしい魔術を再開してみました。

一時期、考え事整理のためにわりと習慣的にやっていた瞑想です。

季節によってはやけに眠くなることが多かったことと、編み物をはじめて「これってほぼ瞑想だな」と感じたことなど重なっていつの間にかしなくなっていました。

そんな感じで過ごしていたここ数年でも、ますますどんどん情報の大量化高速化が進んで、結局編み物をしていても散歩をしていても、少なくても耳からは常に情報を仕入れるようになってしまい、気がつけば自分の外側ではなくて内側にはどんな物語があるのか、ということをほぼ考えないまま一日を過ごしてしまうことも多く、どうも年々体の内側で物語が枯渇していく自覚はあったのでした。

 

アラビアンナイト 三千年の願い』を観て、「傍観者みたいなことばっかりしてないで、ちょっとイドリス・エルバに自分の話を聴いてもらおう」という気になり、久しぶりにアレクサでタイマーかけて10分くらいイドリス・エルバ瞑想をしたら、まあ大変楽しかったのでした。

猛暑の季節にでもなったらまた眠気で続けていけなくなるかもしれないものの、季節が快適なうちはまたしばらくやろうと、ダイレクトな行動変容を促された映画でした。

うちのイドリス・エルバがまた超ホットですよ。

 


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