晴天の霹靂

びっくりしました

『ベネデッタ』 ~自分の身体の中にあるボキャブラリーで生き延びる

『ベネデッタ』見てきました。

ベネデッタかわいい。最高。


www.youtube.com

 

17世紀の修道院でいろんな神秘体験を通して「私はキリストの花嫁」とか言い出し、裁判にかけられた女性の話です。

 

中でも神への冒涜の疑いと同時に同性愛の罪で裁かれるシーンが大変におもしろかったです。

裁く側の人たちがベネデッタの寝室で起こったはずのことについて、目撃証人に

「何を見たのかいいなさい」

「そんな淫らなこと口にできない」

「いやいや、大事なことだから逐一詳しく説明しなさい」

みたいな、ちょっとした羞恥プレイとして盛り上がってるのに、当のベネデッタがわりと普通なのが、興味深いのです。

 

わざわざ裁判をしに遠方から来た偉い人(男性)は、お抱えの娼婦がいるような暮らしなので、肉体関係を当然のように劣情と結びつけて捉えているし、

修道院長(女性)は、自分自身に娘がいる身の上なので、現実の問題として性行為を理解した上で当時の社会規範に照らして「口にすべきでないこと」と捉えています。

ところが、6歳で修道院につれてこられて、外の世界を知らず、宗教教育だけを受けて育ったベネデッタにとってはすべてのエクスタシーは神秘体験であり、恥ずかしいこととか劣情であるとか、そういう発想が全然ないところが、もはや無双状態で、はからずも権力構造が逆転する一瞬のようにも見えます。

 

性の目覚めの段階で24歳のベネデッタは、十字架の上のキリストに呼ばれる夢を見るのですが、

「腰布を取れ」

と言われて取ったら、裸のキリストの股間は女性と同じ形をしています。

性的な知識の全然ないなりにその想像力を駆使した上でキリストと交わした婚姻の交わりが

「手のひらを重ね合わせたらすごく痛くて血が出る」

というビジョンであるあたりが、本当に与えられた環境と知識の中で強い意志を持って生き抜く決意をした女性、という感じで、いじらしくもかわいい。

 

中産階級の出身で食べるに困る家柄ではなさそうなベネデッタが、まだ幼いうちに修道院に入れられた理由については何の言及もされていません。

仮死状態になる経験などから考えてみると、幼少期からてんかんの発作があって幻視を見たりする体質で、これでは結婚は難しいのではないかと踏んだ両親が、それならば早いうちにということで持参金をつけて修道院へ送り込んだようにもみえました。

 

そんなベンデッタを、持参金と寄付を目的で引き取りながらも、その神秘体質に憧れの思いも持つ修道院長。

家庭での虐待から逃れるために逃げ込んできた修道院で、ベネデッタが実家のお陰で多少大事に扱われてることを見抜き、庇護を求めるように愛人になった貧しい家庭のバルトロメア。

ベネデッタと同じ年頃で同じように外の世界を知らずに育ちながらも、ビジネスライクな母のお陰で現実主義者に育ち、母の愛を求めるリアリストになった修道院長の娘クリスティーナ。

 

それぞれの立場でそれぞれの持てるものを使ってなんとか生き抜こうとしている女性たちが、全員素晴らしく、

なんとなく「女は欲望の対象として都合よくあしらっとけばいいか、ガッハッハ」の教会幹部男性陣に比べて圧倒的に個性があって魅力的でありました。