自分で飼ってみるまで、黒猫というのは神秘的な存在なのだと思っていた。
魔女の手先と言われたり、不吉の印と言われたり、福猫と言われたり。
頭脳明晰に見えるからこそ良いにつけ悪いにつけ、黒いという特徴においていろんな目に合ってきた歴史があるのに違いない。
しかし、自分で飼ってみるとそれまで知らなかったことが分かる。
黒猫にはどうやら、神秘的なやつと、素っ頓狂なやつがいる。
違いは顔の形だ。
しゅっとした細面だと、漆黒の中に黄金色の目だけが輝くようで人の心を見透かす畏怖の念を掻き立てるに違いないのだ。
しかし猫には、丸顔タイプ、というものもある。
毛の長さに起因して輪郭が丸く見えるだけのことで、骨格は神秘的な方とそんなに変わらないはずなのだが、とにかくまん丸い黒い円の中にボタンのように丸い目が二つぽんぽんとあり、それ以外の要素は一切見分けがつかないことで一気に冗談めいて見える。
もちろん、うちの黒猫は冗談の顔の方だ。
いつ目が合っても常にびっくりしたような顔つきなので、本猫には悪いが相当面白い。
そんな賢そうとは言えない面相の我が家の黒猫は、実は我が家で一番本好きである。
2,3冊も積んでおくと、いつの間にか近づいてきてゴロゴロ言いながら丹念に身体をこすりつける。
すぐそばに人間がいるのに、なぜ人間の方に甘えないのだ。
まさか、そんな情報の吸収方法があるということなのだろうか。
独自の経皮学習法で、一冊ごとに賢くなっているのか。
我が家にいるもう一匹の猫、キジトラの方は本に対する興味が薄い。
我が家の構成員の中では最もきりっとした思慮深げな顔をしているが
たまに気が向むくとページの角にやんわりと歯型を付けておくのがせいぜいだ。
もちろん、本は読むためだけに使うとは限らない。
難しい本を自分のものにしたという満足感を得るためにも、
たくさん並べて人を威嚇するためにも、
四つ葉のクローバーを挟んでおくにも使う。
見つけ次第くまなく身体をこすりつけて何かを吸収するにも、
ごく厳選して静かに噛み心地をたしかめるにも使える。
それで正しいのだ。
みんな、いろんな理由で本と暮らしている。
少し前に見たドキュメンタリーで『戦場の秘密図書館』という作品がある。
内戦下の荒廃したシリアで、爆撃された廃墟の中から本を集めては地下室に保管し密かに図書館として開放していた青年たちがいたのだ。
その秘密図書館には、人々が自然と集まり、情報交換の場となり、スカイプを使った講義が行われ、パーティーが開かれた。
本が存在すると人が集まるということ、とにかくそれが「本」であるというだけで命がけで守ろうとする人が少なからずいるということに胸を打たれて、ほとんど涙ぐみながら見てしまった。
読む者にとっても、読まない者にとっても、どういうわけか本は生活の中で心を少しばかり動かす作用があるらしい。
それはびっくりした顔の黒猫にとってさえも、なのだ。