晴天の霹靂

びっくりしました

『父の革命日誌』 ~大変素晴らしい葬式エンタテインメント

最近読んだめちゃめちゃおもしろい小説。

お父さんが電信柱にぶつかって死ぬところから、話ははじまる(そもそも電柱にぶつかると死ぬのか?)

ひとり娘が喪主となって葬式をあげることになるわけだが、次から次にやってくる弔問客は変な人ばかり。

激動の韓国現代史の中にあって3年間パルチザンのリーダーとして山にこもっていた”父”は国家によって犯罪者とされ、服役、その後の人生を社会にもどっていくことを禁じられたまま生きていく。そしてその父の娘はなによりもまず「パルチザンの娘」「アカの娘」として資本主義体制下の韓国で苦労を強いられる。

そんな父との遣る方無き思い出を振り返りながら葬式を出せば、次々とやってくるのは父の隣人や、タバコ友達や、面倒見たやら。「父」が「父」以外にもいろんな顔をもって生きていたことの生き証人たちだ。

葬式に面白い人ばっかり来る人の人生が、もしかしたら一番偉大な人生なんじゃないだろうか、と読んでいると実にしみじみ思うのだ。

 

身近な人を亡くした人は誰でも心当たりあろうが、命というのは死んだ途端に今まで蓋をされていた「語られるべき事柄」がぶわっと大量に出てきて興味深いものだ。

死は一回しかないことなのだからそれは大いに語られるべきことだと思うし、これを言うと大いに語弊があって難しいんだけど、人の死ってぜひともおもしろくあるべきなんじゃないかな、という気もする。

葬式エンタテインメントとしてめっちゃ名作。

 

 

 

独裁政権時代の父娘ものとして思い出すのは『タクシー運転手』

映画内ではソン・ガンホはたまたま光州事件に巻き込まれちゃった陽気なノンポリとして描かれてはいるが、実際は普段から勉強会に通ったりするようなインテリだったらしい。最後に運転者が自分の身元を隠すのも「アカの家族」として生きるのがどれほど大変なのかを知ると、なるほどな、と思うところ。

 

 

 

アスパラガスとプルースト ~野菜に姿をかえたとびきりの美女たち

雪が溶けて風の匂いから湿り気が減ってくっるこの季節、アスパラガスが美味しくてえらいことである。

近所にある酪農学園直営の販売所で、週末ごとにとれたてのアスパラが入荷するのを、売り切れる前に毎週せっせと買いにいく。

寒冷地の地面から出てきたての若く柔らかい芽は糖度が高く、爽やかなとうもろこしみたいな味で、さっと茹でても、炒めても、とにかく余計なことさえしなければ絶対に美味しい。

もののレシピ本には「アスパラの根本は数センチは切って」などと記してあるものが多いが、雪国の地面で春を待ったアスパラガスの根本に捨てるところなど、全然ないのだ。

 

「アスパラガスって見た目も美しい上に美味くてすごい」ということを、持ち前の持って回った冗長な言い回しで表現したチャンピオンといえばプルーストだ。

 

私 が 心 奪わ れ 陶然 と し た のは、 薄紫 色 と 碧空 色 で 念入り に 彩色 さ れ た 穂 の 部分 から、 苗床 の 土 で まだ 汚れ て いる 根 もと まで、 地上 の もの とは 思わ れ ない 虹 色 の 輝き で、 かすか にでは ある けれど、 色 が ぼかさ れ て ゆく よう に 見える、 ラピスラズリ の ごとく 深い 青色 と 薔薇色 に 浸さ れ た アスパラガス を 前 に し た とき で ある。 こうした 天空 の 色合い こそ、 たわむれ に アスパラガス という 野菜 に 姿 を 変え た とびきり の 美女 たち ─ ─ 食べ られる 引き締まっ た 肉体 という 仮装 を通して、 その 貴重 な 根元 的 性質 を、 生まれ た ばかりの 暁 の 色 や ほのか な 虹 の 兆し、 消え て ゆく 夕暮れ の 青色 の うち に 垣間見 せる 美女 たち の 存在 を こっそり 明らか に し て いる よう に 思わ れ た。 そうした 根元 的 性質 は、 夕食 に それら を 食べ た あと、 夜 じゅう ずっと、 シェイクスピア の 夢幻劇 にも 似 た、 詩的 では ある が 下品 な 笑劇 の 中 で、 美女 たち が 私 の おまる を 香水 瓶 に 変え て 遊ん で いる よう な とき でも 感じ られ た。

プルースト. 失われた時を求めて 1~第一篇「スワン家のほうへI」~ (光文社古典新訳文庫) (pp.214-215). 光文社. Kindle 版. 

 

「アスパラガス美味い」と言えばいいところをなぜここまでダラダラと引っ張って面食らわせた上で、「でも翌朝のおしっこが臭いよね」と、言わでものことまで付け加えて、プルーストってお上品と信じ込んでいる読者を面食らわせるのか。

 

「え、何?嫌がらせ?わざとなの?」と思いながら持ち前の真面目さだけを持って読んでいた時代もあったものだが、繰り返し読むうちに嫌でも気づくのが、これが官能的なモチーフであることがいかほど大事なのかということだ。

まあ、たしかにアスパラは若芽だし、やけにシンボリックな形だし、おまけに美味いとなれば、それはどうしても官能と強く結びついている。そこまで考えると翌朝のおしっこの匂いが変わるというオプションまでついてくるのはほとんど爆笑ものの下ネタとすら、言えば言える。

 

終生同性愛者であったことをカミングアウトせず、その長い小説の中でも名言はしないままに、ただ無数の隠喩を散りばめながら日々の生活を執拗に表現しなおしていったプルーストにとって、「アスパラガス美味い」は「アスパラガス美味い」で済む程度の些細な出来事ではないのだ。

 

『スワン家のほうへ』において、アスパラガスはほぼ無敵である。

女中頭が気に入らない妊婦の炊事係をいびってやめさせる道具として使うのもアスパラだ。アスパラがパワハラとマタハラにも使えるなど、普通の人はなかなか気づかない。

 

「アスパラがここまで美味いとは。そうか、春なのか」

と半ば涙ぐむほどの思いをしながらも、美味いものは美味いと言えばすむほどに屈曲せざる欲望を生きてこられてしまったことは、プルーストに対して後ろ暗いような気持ちにも、少しなる。あれだけの長尺を使わなければ表現できない大切なことが、プルーストの生活の中にはたくさんあったのだ。

 

これから5月くらいまでは、ずっとアスパラはうまいだろう。

 

『プロレススーパースター列伝』~今さらリック・フレアーをちょっとかじる

令和6年にもなってナンですが『プロレススーパースター列伝』をちょっと読んでます。Kindle Unlimitedで読めるの。

 

最近見た映画『アイアンクロー』が思いの外おもしろかったんですが、劇中に、印象の強いマッチョがいたんです。

アイアンクローをかけられて「うぎゃーっ」てなってんなと思ったら、試合後に頭から血流したまま控室に入ってきて、さっき負けた相手に「やー、大変だったね。飲みいこ、飲みいこ」とか言ってる、ご陽気な人でした。

後ほどその筋の人に聞くと「それはリック・フレアーという人である。昭和の子はみんなプロレススーパースター列伝を熟読していたから有名人だ」と教えてもらったので読みましたよ。

 

プロレスってこんなにすごいものか、と感心しながら読むことですね。

なんというんですが、言葉を選ばずに言えば嘘ばっかり書いておいて(アントニオ猪木談)とか堂々と書き足す大胆さに「おおぉ」としか言えない。

「リック・フレアーはハンサムだけど足が短いから勝てない」とか書いてあるんです。今となってはリック・フレアーの試合なんかいくらでも観られるから検索すると、当然どっこも短足じゃないですよね。

「でもそういう弱点があったけど、四の字固めは足が短いほうがしっかり決まると気づいてから勝てる選手になったのだ(猪木談)」みたいなことが書いてありまして。

私は未来人として読んでますから「これ絶対リック・フレアーに一言も断ってないよなあ」と思ったらおかしくて仕方ないし、なんでもいいから弱点克服出世物語にすればそこそこウケるだろっていうのも時代の雰囲気感じて本当に味わい深い。

 

プロレススーパースター列伝 5

huluに日テレプロレスアーカイブが入ってるのでリック・フレアーの来日試合を観ると、大変に人の目を引き付ける演技派の選手だったのでまるっと一本みてしまいました。

「いくらなんでも試合前に染めないとそこまで明るいブロンドにならないよね」っていうレベルの髪色だよなと思ってたら、映画と同じく試合の盛り上がるところで生え際あたりから流血したんです。

そしたら血の色がプラチナブロンドとの対比で非常に良く目立って、おまけにその頭を振ってアピールするので「おおすごい、連獅子だっ」となりました。本人は足が短いとかじゃなくて、何色の髪だったら血が映えるかな、とか考えてるのはそっちですよね、梶原先生!。

 

プロレスって、わかってない勢として見てると「この技って掛けてる方と掛けられてる方と、どっちが痛いのかな?」って毎回考え込んでしまうんです。

それでガチ勢に「これどっちが痛いの?」っていちいち聞きながら見ていたら「痛がってる方が痛いに決まってるだろっ!」って言われて本当に感心したことがありました。そうか、痛がってる方が痛いのがプロレスの本質か。

そしてリック・フレアーの痛がり方良いですね。「ひいい、もうやめてえ」って顔しますもんね。

 

 

あと、ロシアのレスラーがニードロップで片耳削ぎ落としたというエピソードも感動した。これはもうひとつの宇宙ですね。

プロレススーパースター列伝 5

 

 

新旧で何が違うのかわからないけれど新装版も全部Kindle Unlimitedで読めるようです

 

『インフィニティ・プール』~ふざけ方にもう少し余裕があれば寝なかったのに

『インフィニティ・プール』を見てきたよ。


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いろいろ奇を衒いすぎてちょっと緩急に欠けるのではないか、などと思っていたらうっかり寝てしまいました。起きたら『ゴジラ対ヘドラ』みたいなサイケ映像になっていたのでちょっとおもしろかった。最近またサイケ映像、ちょっと流行ってきておりますかね?

 

「親父は偉い人なのに、お前の処女作はつまらない」という程度のことで延々と面白い公開処刑をされてしまう小説家の主人公を見てるうちに、やっぱり映画界でクローネンバーグという名前を背負っていくジュニアは大変なんだろうな、と同情もしてしまうのです。

それでも、強制的変顔からのクローン制作とか、犬人間VSオリジナル人間のタイマンとか、おもしろい個性は色々感じられたので、公開処刑にめげずに作り続けてほしいなあ、と思いました。目と頭がつかれて寝ちゃったけど嫌いではないよ。

 

 

比較的評判が良いらしい前作。観てから行こうと思っていたのに時間がなかった。

 

 

親子でジャンルが近いだけに「やっぱり余裕とユーモアにおいて力量の差があるのではないか」などとつい比較したくなってしまう。言われる方は本当にたまんないよね。すまん。

 

『リングサイド』~ちょっぴりプロレスが染みるとき

 

2年くらい前に話題になったときに買ったまままだ読んでいなかった台湾小説を引っ張り出して読む。

なによりも表紙が素晴らしくて買ってしまったのだ。ええと、三沢と。誰だったかしら、……長州?

以前にも、心当たりの人に聞いてその答えは判明したのだけど、教えてくれる圧がすごくてうっかりまた失念してしまった。それにしたって、プロレスのことは何も知らないくせに「三沢」だけうっすらと分かるのは我ながら本当に不思議だ。パンツの色があんまりだからだろうか。

 

台湾については今年総統選があった時期にずいぶん報道を見かけた。米中の間に立たされてイデオロギー戦が激化している一方で、それとは別に、仕事もない、家も借りられない、結婚もできない、という若い世代の「誰でもいいからまともな生活をさせてくれ」という第三極とが入り乱れて、お祭りのような盛り上がりをみせていたのは少しうらやましいようですらあった。

選挙戦の報道で映っていた若者の鬱屈と、それから最近の大きな地震の報道で見かけるはっとさせられるほど日本にそっくりな町並みと。

そんなことを思い起こしつつ『リングサイド』を読むと、なんだかずいぶん染みるものがある。

 

横になってKindle端末で読書をしていると、黒猫が画面と私の顔の前に挟まりにくる。

昨日はぽかぽか陽気で「6月ごろの気温」までいったん上がったものが、今日はまた急に寒くて風も強いので、暖かい居場所を探して彷徨っているのだ。

読書端末と人間の顔の間が一番暖かくて気持ちが良さそうだ、と見当をつけた猫はたいそうご満悦で私の頭の下のクッションを揉み始める。すぐ目前でドアップで見る猫の爪はなかなか立派なものだ。ただ伸ばしたり握ったりするだけでなくて、伸ばすタイミングでおもいっきりすべての指を開いて爪という爪が一番長くなるようにみせつける。「こんな立派な凶器をこの距離で見せつけられてお互いにのんびりしていられるこの信頼関係な」と思えば、こちらも喉が鳴るリラックス気分になる。

爪シャキーン、モミモミ、爪シャキーン、モミモミ。

どうせもう続きは読ませてもらえないので猫の爪を見ながら「アイアンクロー!アイアンクロー!」と掛け声してしばらく遊んだ。

プロレスも小説も、あらゆる物語は、きっとぱっとしない生活こそを無限に救ってきたんだろう。

 

『アイアンクロー』~どれがどのマッチョなのか考えつつ見る

 

『アイアンクロー』を観てきましたよ。

私自身はプロレスもエリック一家に関する知識もほぼゼロではありますが、世代的には”ゴールデンタイムにテレビでプロレスやってた時代の人”ではあるので詳しい知人を探すには苦労しないのです。

「アイアンクローについてなにか知っておいた方がいいことある?」

と事前聴取をしてみたら

「悪役だけど本当はいい人なんだよ」

とわかるようなわからないような豆知識。というわけで徒手空拳で観てきました。

 


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どれがどのマッチョなのか途中でわからなくなったりするので、元の人物を知ってる人の方が楽しめるだろうな、という気はしたものの、わりと楽しく見ました。

しかし生まれつき家族全員がプロレスラーだと、なにかあってもやめ方がわからなくて地獄。そして20代やそこらのあどけなくて基本的には犬みたいに兄弟同士で和気あいあいやっていたいだけの男子たちが真面目に命を縮めていくのを観るのは辛い。

 

プロレス無知勢としては、兄弟の中で唯一、プロレスをやめて生き残った長男ケビンが妻パムさんとの初デートのシーンがなかなか良かったです。

パムさんはなかなか賢い人だし、プロレスラーに声掛けるくらいだからマッチョも好きなんでしょうがそれでも食事のときに

「ぶっちゃけプロレスってやらせでしょ?」

みたいなことを言っちゃう人でもあるのですね。

「あ、いかん。私もよく知らないジャンルに対してこういうこと言いがちなタイプだわ」とハラハラしながら見てたらケビンが

「ちゃんと技があって客を興奮させられる人しか勝てないよ」

と明快に説明。聞いてるパムさんも、なるほどこの人たちは真剣にやってるんだということを理解して防衛的になるでもなくそれ以上余計なことを言わない、というちょっと良いコミュニケーションを見たのでした。

座席の中で私も「手のひらで側頭部掴むより向こう脛蹴っ飛ばしたりする方が全然痛いんじゃないの?」とか思っていたことを反省した次第です。

 

後半、一家が次々不幸に見舞われていく中で、バイク事故にあった三男ケリーが義足でプロレスに復帰した、という経緯が理解できずに、なんとなくぼんやりしていたのです。

鑑賞後にプロレスガチ勢に「誰も気づかなかったけど実は途中から義足だったんだよ」と説明されて「そう言われてみればそう描かれてた!」とやっと理解。恐ろしすぎて脳が理解を拒否していた。というかちょっとわかりにくい描写でもあった。

技があって観客を興奮させることが彼らのやっていることの本質であるならば、そんなに大きな人生の刻印と身体的特徴を「なかったこと」として振る舞ったりするのでなくてパラアスリートとして新しい形でみせていく興行もいくらでもやりようがあったんじゃないかしら、などと思ったりするのだけど、できあがってしまった家族帝国の中で親父の理解可能なマチズモの外に世界なんかないと、みんなが思い込んでしまったことだけは、まあ呪いといえばそう見えました。

 

辛いところは辛いけど、兄弟ラインダンスのシーンとか非常に素敵で、なかなか良かった。

 

『虎に翼』~大河に挫折しつつある中、朝ドラは頑張り切るか

大河ドラマ『光る君へ』を、なんとか面白いはずだと思い込もうと頑張りつつも回を追うごとに着実にへこたれて来ている中、ここに来て朝ドラが熱い(といいな)

 

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いつの時代の何の話だか全然知らなかったんですが「面白い」という噂を聞いたので試しにと思ってみた初回。まさか憲法14条の条文から始まるドラマだとは予想もしなかったので驚きました。

大変失礼ながら「時計代わりにやる放送でしょ」くらいの流し見を決め込んでいたところに

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

などと聞こえてくるのは激アツと言わざるを得ないところです。

 

その昔、政治経済の授業で習ったときには、「何を当たり前のクソ面白くもない建前」くらいに思ったほど、私の学生時代は一応画一性を担保されつつ生活していたものです。

それが、雇用崩壊時代に社会に出るやら、宗教右派の言いなりの政党による支配が続くやら、インターネットでアテンション・エコノミーが猛威を振るうやらしてる間に、あっというまに人心が北斗の拳の世界観みたいになるのを目の当たりにするにつけ「建前ってめっちゃ努力して守らないと消えるんだっ!」と驚愕するようになった昨今。

今となっては、朗々と読み上げられる14条の染み入ることといったらないですね。

 

また、まだ全然言語化されてはいない女学生時代の寅子の「結婚なんかしたら後戻りできないひどいことになりそうな気がする」っていう予感が、現代でもよくわかるのも面白いところです。

現在は当然明治憲法下ではないので結婚したからと言って女性が「無能力者」とされることは法制度上はないわけではありますが「なんとなくわかる」となる程度には本質的に変わってないところが多いってことだろうな、と思いつつ伊藤沙莉に乗り移らんばかりにして観るのでありました。

 

そんなわけで、『光る君へ』は近々に挫折するかもしれないが、その分『虎に翼』に期待を掛ける4月第一週でした。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024040606345?cid=jp-LG372WKPVV

 

 

 

ちなみに最近のNHKではNスペの「下山事件」も超面白かった。

www.nhk.jp

今やNHKでもここまではっきりアメリカの反共工作であることを言い切っていいのかとびっくり。おまけに「アメリカの工作」という流れの中でちらっと田中角栄の名前が出てきたのもなかなか聞き捨てならないものを感じました。第一部第二部、どっちも大変な力作です。