晴天の霹靂

びっくりしました

「下の人はそんなに困ってないんじゃないか」に一票

投票所へ向かう前の午前中、ここ一ヶ月の懸念事項である「階下への風呂の水漏れ問題」について、近頃懇意の元水道屋さん(a.k.a実父)に相談の電話をしてみた。

 

「……ごそ……ごそごそ……もしもし…ごそごそ」

「あ、ちょっと聞きたいことあるんですが大丈夫ですか。出先にいるんだったら夕方にでも掛け直します」

「……ごそごそ…いや、大丈夫。……ごそごそ(どうやらテレビ電話で受信してしまったので自分の顔が写っていることに超焦っている)」

「あの、古い集合住宅のお風呂の排水について聞きたいことがあるんです」

「はあ」

「うちでお風呂の排水をすると下の階の浴室の天井の隅から結露みたいにぽたぽた水漏れがしてくるという事案がありまして。

配管はうちの専有部分ではなくてコンクリートの下、つまり階下の天井にあって非常に面倒くさいと」

「古い集合住宅ならそうだろうな」

「このような場合、工事は可能なものであろうか」

「うーん」

「管理会社は直せないとかグズグズ言った挙げ句、うちを部屋替えさせて済まそうという態度なので、私の方で業者をさがして見積もり作って管理会社に送りつけようかと思っているのだけど、水道屋さんとしてはいかがなものでしょう」

「頼まれればやるだろうけどなあ。そのタイプの風呂は、床壊してみないと配管どうなってるかわからないんだよ」

「ははあ」

「集合住宅なら出入りの水道業者あるだろうから、そこならどういう構造か知ってるし、工事にいくらかかるかもわかるぞ」

「はー、管理人さんに業者の連絡先を聞きに行けばいいのか」

「そうだな」

「なるほどっ」

「……でもそれなあ」

「はい」

「今、風呂は使ってるのか」

「うん、管理会社がとりあえず使ってていいとか適当なこと言うんで」

「下の人そんなに困ってないんじゃないか」

「ん?……でもだんだん水漏れが大きくなっていったり天井腐っていったりするんじゃ?」

「そうだけど、金かけて直すより使える部屋に人をいれていって、だめになったらその部屋は使い潰していこうという、管理会社はそういうことだろう?」

「どうもそうらしい」

「今風呂を使っていていいって言ってるのもそういうことだろう」

「そうか」

「じゃあ、下の人も水漏れの迷惑料として家賃からなんぼか引いて貰うくらいのことでいんじゃないか」

「うちは何もしなくていいと」

「うん」

「……はあああ。その発想はなかった!」

「まずいことになってきたら管理会社もなにか考えるだろう」

「なるほど、考えてもみなかった。ありがとうございますっ」

物事は何も進捗していないのに、ここ一ヶ月の懸念事項がはほぼ解決したことに感動しつつ通話を切った。

 

一生のうちの長きに渡って、水道とか配管とかそういうことに向き合って地道な仕事をしてきた人なのであるなあ、と思う。

望めばほぼ全員が正社員になれた時代に、高卒ブルーカラーとしてまっとうな誇りと相応な待遇をもって社会に所属し、知識と経験を積み重ね、いたるところでライフラインを守り、子供をふたり育て、車と住まいも買って、老後も自分で賄った。

リタイアしてなお、門外漢の娘の水道トラブル相談に、目のさめるような実際的なアドバイスが可能だ。

オーナーが使い潰す気でいるなら安心して使い潰せばいいんじゃないかとは、さすが同じ遺伝子の流れを感じる大雑把気質(お父さん!)

 

「この人はこの人なりに色々あったろうけど、きっと職業人としてはまあまあ幸せだったんだろう」

と、私は思う。

よかった、苦労がちゃんと報われる時代の人で本当によかった。

 

それに比べて、誰に何を言っても一向に話が通ってなくて、こっちからせっつくまで何も言ってこないぼんくら管理会社の電話口の面々は、もっとずっと誇りと責任を持つのが難しい世の中で苦労の多い仕事をしているのではあろう。

個人としては全然お恨みするものではないが、私だけを適当に言いくるめればとりあえず安く上げられると考えるのはいい加減にしてくれないか。

我々はまず失われた誇りを取り戻そう。

しかるのちに、相反する利害についてちゃんと互いの言い分を持ってぶつかろう。

 

ちょっと良いウロコも落ちたし、さて選挙行こうか(父よ、ありがとう)

 

『最後の決闘裁判』~その顔を見てなにか気づくことはないのか

リドリー・スコット最新作『最後の決闘裁判』を見てきました。

基本的にはものすごい胸糞悪い系であるにも関わらず、非常に面白い。


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中世フランスで実際に行われた最後の決闘裁判を、黒澤明の『羅生門』方式で、証人3人の3視点からそれぞれ語る方式で再構成した映画です。

起こった事件は、人妻の強姦事件なのではありますが、封建時代のこと、女性の人権について争うという発想はもともと誰にもないわけです。

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マット・デイモン(夫)が自分の財産(妻)を毀損されたと訴え、加害者アダム・ドライバー(夫の旧友)は「彼女も喜んでたから別に毀損じゃないじゃん?」と反論。

法廷に呼び出された被害者はえらそうなおじさんたちから延々と

「で、あんた喜んだの?」

と侮蔑的で頓珍漢なことを聞かれ続けるという胸糞悪い映画なわけでありますが、脚本家と監督が、その胸糞悪さをわかったうえで現代人の視線に耐えうるエンタテインメント作品として仕上げようと腹をくくったのが見てとれて、「うーむ、そうきたか」とうなります。

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映画は、男の名誉がぶつかりあうかっこいい決闘シーンから始まるわけです。

中世の、騎士道の儀式とか服装とか小道具とかって元来が「男の沽券」をかっこよく見せるための巨大装置でありますから、その一番のクライマックスである決闘なんか、それはかっこいい。

馬上の二人が距離をつめてきてぶつかりあう槍と槍。カキーン

さて、この二人はここにくるまで何があって、どちらが勝ったのでしょうか、っていうつかみ。

「うーん、私はアダム・ドライバーが勝ったほうがいいかな。あのスターウォーズ新三部作でさえアダム・ドライバーだけは良かったくらいの功労者だし」

というくらいのゆるいテンションで見はじめるわけです。

 

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マット・デイモンの視点。不器用な世渡り下手で出世には恵まれないが、美しい妻と支え合って生きる忠誠心と武勇に秀でた騎士。

旧友によって損なわれた妻の平安と名誉のために自分の生命をなげうって立ち上がる良き夫でもある。

「ふむふむ。なるほど、そういう事件なのね」

 

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アダム・ドライバーの視点。家柄が低いので自身の美貌と才覚と知性だけで出世してきた切れ者。出世コースから外れた旧友から妬まれたりもしたけれど、ちょっとぐらいの誤解は水に流す心の広さ。

女性にはよくモテるので、マット・デイモンの美人の妻と会ったときもすぐ恋に落ちた、と。

「あー、こういう人いるいる。どんなに小さい山でも猿山のボスになってしまうとヒャッハーになりがちなの、わかるわかる。バイト女子高生にモテる店長タイプ」

 

 

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からの、明かされる妻(被害者)の真実です。

妻の視点で一連の事件を振り返って迫力がすごいのがなによりも女性たちの顔です。

それぞれ男性が思い出したときの「女性陣」って、いつも優しく微笑んでそばに控えていてくれる存在なんですが、妻視点で再生されると要所要所で露骨にドン引きした表情で男性陣を見ています。

あれだけドン引きされてても男性視点で振り返ると「そばに佇んで微笑んでいた妻」として記憶されてるのを可視化して再現できるのって、なるほどこれは映画の力のすごさ、と思いました。

うっかり夫婦でこの映画見に来ちゃった人たちとか、映画館の暗がりで頭抱えないだろうか。

 

「ヨーイドン」のところまでは勇ましい決闘も、ひとたび馬から落ちたあとは体中に金属のおもりをつけてジタバタしてるだけの謎の人だし、見て盛り上がっている人たちはどっちが勝つかは別に興味もないし、という地獄絵図なのでありました。

辛くも妻は生き延びて、威張ってるだけで役に立たない男どもは居なくなり、夫が火の車にしていた領地をまっとうに経営して無事子供育てあげました、ってのは胸糞悪いシステムの中でちゃんと自分なりの戦い方を勝ち抜いたというささやかな報告でもあり、あのエピローグがあって本当によかったなあ、と思います。

 

最初かっこよく登場したアダム・ドライバーの顔がどんどん単に気持ち悪い人に見えていく様子とか、本当に役者は素晴らしかったです。

中世の時代設定の中で一人だけあまりにも現代的な自意識を持っている妻が、存在として不自然ではあるんですが、ジョディ・カマーがそれこそちょっと不自然なレベルの美しさで撮られていることによって、まあこれはこういう意図なんだろうと納得できるところでもあって、現代人と中世人の橋渡しとして素晴らしい機能を担ってくれたんじゃないかと思う。

いい映画みた。

 

 

 

原作のノンフィクション。どうやら面白いらしいのでたぶん読む。

 

 

原作の「藪の中」より面白くなってるところはすごいよなあと思うものの、明らかに女性のキャラクター造形が変だった感は否めない『羅生門

 

今日も働く君の背中に秋の風

めっきり秋らしい気候になって、夏の間ほとんど開けっ放しだった窓も一日中閉めておくようになった。

私が窓の横の机に向かっていると、猫がやってきてぐんと背中を伸ばして前足を桟にのせ、背伸びする子供みたいな格好で腰高窓を覗きこむ。

 

「行くの?今日寒いからやめたら?」

と扁平な後頭部に向かって声をかけるが、離れる様子がないので、仕方なく猫一匹分ほど開けてやる。

軽々と桟に飛び乗って、それからベランダへ降りていく後ろ姿に

「早く帰っておいでよー」

と声をかけるのは、心配してるのでもあるが、猫が帰ってくるまで窓を閉めるわけにはいかないので自分が寒い、という意味でもある。

 

彼女はだいたいのところ、ベランダの手すりの隙間から身を乗り出して真下にある申し訳程度の公園を見下ろしている。

ほとんどいつも人のいない単調な公園であるが、猫の目には刻々と変わる情報の集積なのだろう。

気温や湿度も、飛び交う鳥も、空気の匂いも、木の葉の色も、毎日毎秒違うことをちゃんと識別できていて、それらは安心して暮らすために日々更新して常に整理しておかねばならぬ情報であるに違いない。

 

だから彼女は寒くなっても毎日仕事へでかけ、狭く切り取られた自然の中からよりすぐりの情報を持って帰ってくる。

「まろちゃん、寒いー」

声をかけつつ窓から頭をひょいと出してみれば、定位置に座り込んでまだ熱心に下を見下ろしている。

 

仕方ないのでパーカーを羽織って肌寒いのを我慢していると、やがて

「んにゃっ」

といういつもの掛け声とともに、背中をひんやりさせた黒猫が飛び込んできてまっしぐら膝に乗る。

「おう、おかえり。今日はどうだった?」

ゴロゴロゴロゴロ……と、ずいぶん長い丁寧な報告を、彼女は始める。

そうかそうか、今日もいい感じだったか。

猫のブリーフィングを聞きながら、冷えた毛並みをせっせとなでる。

今日もいい仕事ができてよかったねえ。それを聞いて私は君のことが誇らしい。

ゴロゴロゴロゴロ。

そうか、それはすごいな……ところでこれ、何月まで続けるの?

 

先のことばかり心配する仕組みの大脳を持つ人間をよそに、今日一日分の安心安全にすっかり満足した猫は、報告の途中でぐっすり眠りこんでしまった。

眠る猫を膝に載せたまま、知らぬ素振りの地球がまた冬の方に傾いていく。

 

MIB街頭演説 ~あなたたち怖いんですけど

あまりスケジュールを公表していない候補者の街頭演説の予定がわかったので、聞きに行ってきた。

少し早くついて様子をうかがっていたら、何事かと思うくらいの数の「ダークスーツ着用片耳イヤホンマッチョマン」がずらり並んでいる。

「あなたたちものすごく怖いんですけど、そんなところに並んで立ってたら集団的威圧行為とかなんとか、そういう類のものにならないんですか」

と思いつつも車道を渡って向かい側の歩道までスタコラ逃げる。

北海道は2019年参院選の街頭演説で、ヤジを飛ばしただけで道警に取り囲まれて実力排除された人が実際何人もいたので、こういう場所で威圧されるとわりと本当に嫌なのだ。

 

警備の数もすごいし、スタッフの数もすごいし、選挙カーもでかくてすごい。

それにしてもこの凶々しさは何事か、と思ったら大臣の応援演説が入っていたのだった。

あ、そうだったそうだった、SNSの告知にそう書いてあった。

ようやく思い出すに至ったのは、今はどの大臣も印象が薄いせいだ。

だってみんなまだほとんど何の仕事もしてないんだから仕方ないじゃないの。

 

やがて、予定時間ほぼぴったり、人生で見たこともないほど黒光りする大きな車が二台すーっと滑るようにやってきて選挙カーの真後ろにびたっと止まった。

何その異様にかっこいい運転技術。どういう訓練受ければそんな一ミリ違わず狙った地面に吸い付くみたいな運転できるの?

目を見張っていたら、中から何らかの大臣が出てきた。

たぶん名乗りはしていたのだろうけど、マイク音量が交通量のわりに小さいので結局誰だかよくわからない。

 

誰だっけ?と思って顔を見やすい位置まで移動するとメン・イン・ブラックがなんとなくついてきて、両サイドを挟まれる格好になる。

「連行される宇宙人」ほどぴったり張り付かれてるわけではないが、見張られてるってのも不穏なものだ。

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私怪しく見えます?

別に、スマホと財布と手帳とカマンベールチーズしか持ってないですよ。

むしろカマンベールをなぜ持ってるのかについては気になるでしょうけど、それは人事と個人情報にかかわることなんでお答えは差し控えさせていただきます。

誰だって場違いなもののひとつやふたつ絶対持ってるでしょうよ。

スマホと間違えてポケットにテレビのリモコン入ってたことくらいあるでしょう?

 

目をつけられても仕方ないくらい貧相な身なりの私が立ち止まって聞いていることが呼び水になったのか、隣に初老の男性がひとり立ち止まって演説を聞き始めた。

選挙スタッフと警備の数が多すぎるのでどこからどこまでが純粋な関係者なのかがわからないのだけど、私の見える範囲では身内ではなさそうな庶民派オーディエンスは、私とそのおじいさんだけだ。

やがて車道を渡って政策ビラを持った選挙スタッフが走ってくる。

「よろしくおねがいしまーす」

という声も若々しく爽やかで、受け取りながらマスク越しの顔を見ると、二度見するくらいかわいい女性だった。

隣のおじいさんもはりきって

「あんな野合なんかしてるやつらに負けるんじゃないぞ。共産党なんかに絶対負けるな」

てなことをでっかい声で言ってる。

「ありがとうございます、がんばりまーす」

と言って、彼女たちは軽やかにかけ去っていく。

大学生くらいに見える彼女たちは、ある種の共産党アレルギーを共有できる世代でもないと思うのだが、この会話はどれくらいかみ合っているのだろうか、と思うと隣で聞いててちょっと面白い。

 

大臣の話はあまり聞こえなかったが、候補者の声は慣れた機材のせいかさすがによく聞こえる。

自分は実績があるので責任持ってしっかり仕事ができる、というようなことを力説している。

たしかに、今回この選挙区で国政に居た経験がある候補者はひとりだから、そこがアピールポイントだろう。

時々通り過ぎざまに軽くクラクションを鳴らす車がいると、そちらに向かって頭を下げて手を振りながら演説を続けている。

 

おそらく応援演説と、本人の演説、各々15分程度だったのではないか。

共産党嫌いのおじいさんは応援演説の途中でどこかへ行ってしまった。

私は大臣カーの見事な運転技術をもう一回見たくて、話が終わったあともしばらく立っていた。

ため息ほどの音もたてず闇に溶けるように、二台のギラギラ黒光り高級車は視界から消えた。

候補者は選挙カーの屋根から降りて、車のすぐ下に横一列に並んでいる小綺麗な紳士2,3人と握手をしている。後援会の人だろうか。

そして選挙カーに乗り込んで、スピーカーで名前を連呼しながら走っていく。

あとは残されたメン・イン・ブラックたちがゆっくり撤収している。

 

高いところから話す人だったな。

ひと目につくところには若くてかわいい女の子を配置するような価値観の人だった。

立派な服装の人と組織に守られたり応援されたりしている人だった。

選挙には「イデオロギー」ってのも、「政策」ってのもあるけれど、「価値観」っていうのもある。

なんか怖かったし、「私の一票なんかではどうせ変わらない政治」みたいなものを連想させる威圧感もあった。

トボトボ歩いていたら急に手遅れの元気が出てくる。

だいたい私、有権者だし、あそこ公道だしっ。

ちょっとみすぼらしいくらいの理由でむやみに警戒されすぎだろ!

誰が宇宙人だっ!(そんなこと言われてない)

地獄の淵からこんにちは ~きっと勝負の選挙週末

短い選挙戦の週末がやってきた、というので、どの候補者もきっと勝負の土日なのであろうが、雨である。

SNSを見てもなかなか活動内容が見えてこないと思っていた目立たない候補者が「党首が応援に来ます!」というので、珍しく応援演説の場所と時間を前日の夜から告知していた。

事前告知の少ない候補者だから、この機会を逃したらもう話を聞けないのではないか、とは思ったのだけど、時間も場所もちょっと微妙なところで悩ましい。

急坂をママチャリ立ち漕ぎしていけばそんなに遠い距離とはいえないが、もうそろそろ寒いんだよなあ。

などと悩んでいたら、明けて朝から雨が降ったのでなし崩しにあきらめてしまった。

 

しかし、なんだね、候補者というのは案外自分の活動を隠すのだろうか。

同じくまだ話が聞けていない与党系の候補者のSNSでも「ゲリラなので私もどこでやるのかわかりません!」なんて喜々として書いているのが不思議だ。

「予定を調べてでも聞きに行く人」には聞かれたくない話をしてるってことなんだろうか。

 

夕方、雨が上がった隙に外出した。

空に大きな虹が二重にかかっていて、なかなかいい気分だなあ、などとと思っていたら、あっという間にまた降り始め、見事にずぶ濡れる。

雨に濡れて歩くことは全然嫌いではないのだが、年を取るにつれてずぶ濡れると地獄の淵から這い上がってきたみたいな風体に見えることもあり、最近は公衆を慮って極力ずぶ濡れないように心がけてる。

「やれやれ、さっさと帰ろう」

と思っていたら、いきなり目の前で、今朝応援演説を聞きに行きそびれた当の候補者がしゃべっていた。

「おお、こんなポケモンみたいに不意打ち登場するものなのか」

とびっくりする。

 

パン屋さんの軒先に雨宿りをしつつ足を止めて耳を傾ける。

どうやら演説はもう締めるところだったようだ。

私が足を止めたのに気付いて数分引き延ばしたような様子は見てとれるが、それでもあまり様子がわからないうちに話は終わってしまった。

相変わらず、オーディエンスは私一人だったので、話し終わったとたん候補者の人はダッシュで向かってきてくれて、名刺をくれた。

同族のよしみで忌憚のないところを言わせてもらえば、その候補者もずぶぬれると地獄の淵から這いあがってきた感が出るタイプの人で、しかも雨で眼鏡が曇ってるのでいよいよ大変そうに見える。

 

「今朝のショッピングモールの応援演説聞きに行きたかったのだけど行けなかったんです。演説会の予定とか、どこを見ればわかりますか」

こちとら気が小さいが、相手がずいぶんやつれて見えたのが幸いして、全然気おくれなしに声をかけていた。

「すいません。できるだけツイッターで告知しようと思ってるんですけど。予定は事務所に電話してもらえれば。」

と、手渡されたばかりの名刺に刷ってある事務所のところを指で示した。

なるほど、大きな政党に比べると人手が足りてないんだろう。

ほかの候補者は、事務所のスタッフが投稿していたりするものだが、当選経験がないというのもなかなかシビアなのかもしれない。

「わかりました、頑張ってください」

 

選挙カーに駆け戻っていく候補者と離れて帰る道々思った。

一度も当選したことのない人なので「議員への陳情」とは言わないが、今のは私がはじめて地元候補者に伝えた有権者の声だったんじゃないか。

あと、こっちはパン屋の軒先で立っていたが、相手はもっと長い時間屋根のないところでしゃべっていたんだから、「寒いので風邪ひかないでください」くらいは言っていいところだった。

選挙に立候補してる人もこちらと同じ生身の人間なのであることに、今まであんまり思い至ったことがなかったのだな、と反省もする。

 

帰宅してからもらった名刺をよく見てみると、プロフィールの一番下に堂々「地区町内会班長」と刷っている。

政策資料のほうはいくら見てもピンとこなかったが、「町内会の班長を引き受けてくれる人」という点は信頼できる。

 

 

4日目の選挙、3日目のおでん

「まだ選挙の話してんのか」と思われそうな気もするけど、今しないとあっという間に終わっちゃうからしておこう。

初めて街頭演説に行ってきた。

近所のスーパー前で野党系候補が演説するっていう情報をSNSでキャッチしたので

「これは雰囲気だけでも見にいこう」

と思いたったのだ。

 

ちょっと早く着いてしまったと見え、一帯は何の変哲もない普段のスーパーである。

やむなく店に入って、りんごとちくわぶと玉こんにゃくとじゃがいもを買った。

そんなものばかり買うとレジの人に

「この人、きょうは『二日目のおでん』かしら」

と勘ぐられてるんじゃないかな、なんて気がする。

「残念でした、三日目です」

と目で訴えたりしてるうちに、ようやくまあまあ良い時間。

 

ほぼ定刻ぴったりくらいに、やけに派手な車が駐車場にはいってきたので、できるだけ遠巻きに店の出入り口あたりから見ていると、選挙カーから青いのぼりがたくさん出てきてぐるっと駐車場の周囲をまわって近づいてくるのが見える。

ものすごく合戦っぽい。

 

まあやっぱりこんなもんなのかな、と思ったのは、最初から最後まで通して話を聞いていたのは私一人だったことだ。

いくら遠巻きとはいえ、さすがに一人のオーディエンスってのは目立つわけで、候補者は私だけを見つめてしゃべるの構図。目のやり場に困る。

 

ふんふん、なるほど若者が希望を持てる社会ね。

いいと思いますよ、これっぽちの異論もない。

なんなら私にもちょっと希望くれてもいいですけどね、昔は若かったんで。

りんごとちくわぶと玉こんにゃくとじゃがいもを肩からぶら下げたままけっこう楽しく聞いていた。

生身の人間が、何によっても守られていない弱い状態で一生懸命しゃべってる姿は、それ自体がちょっとスポーツのように心に響くものだ。

 

20分ほどの話が終わった瞬間、マイクから手を離した候補者がダッシュで私のところにやってくる。

知らないおじさんが自分めがけてダッシュしてくるなんて、犯罪に巻き込まれる以外の場面で想定したことがなかったので、ちょっと感動した。

びっくりして逃げなくてよかった。

「話聞いてくれてありがとうございました」

かなんか言って平身低頭なので、こっちとしてもつられてぺこぺこしながら

「頑張ってください」

などとつまらぬことをいう。

本当はもうちょっと慣れればここで生活の不満とかをぶつけてみるのが政治の建設的な面白さってもんなのかもしれないが、まあ気が小さいうえに元来、政治家には縁がないもんで、これくらいで精いっぱい。

 

ちょっと古いタイプの政治家の評伝なんか読んでいると

「握った手の数しか票は出ない」

なんてことをよく書いてあるものだ。

そういうのを見るたびに

福山雅治ってわけじゃあるまいし、知らない中高年おじさんと握手して喜ぶ人がそんなにたくさんいるとも思えないが」

などと思っていた。

今回は握手こそしてないが、自分のほうに向かって候補者が走ってくるのを目にして、それにはちゃんと意味があるのを、不覚にも実感した。

 

見てるとわかる、これはやっぱり非常に大変なことだ。

寒空の中一時間おきに場末のスーパーの店先に街頭演説の予定を入れ、聞く人もいない虚空に向かって演説をし、なんなら「うるせえな」くらいの視線に晒され、支持者だか野次馬だか冷やかしだかわからない人のところに積極的に向かっていって頭を下げる。

当選すればまだしも、落選したらこの体力勝負は結局なんだかったのかもわからない徒労として消える。

ただ無駄にぺこぺこしただけだ。

 

なるほどこれは私には無理だ。

演説の内容こそ直接私の生活感に訴えかかけるものではなかったし、あなたに入れるかどうかもわかりませんが、立候補することで私の一票の選択肢を増やしてくれて、どうもありがとうございました、くらいの謙虚な気持ちには十分なった。

 

寒風吹きすさぶスーパー(品ぞろえはたいしてよくない)での演説も面白かったが、これがまた、告示翌日からスター政治家が連日じゃんじゃん応援に入っている与党公認候補ともなるとずいぶん雰囲気も違うのであろう。

かくなるうえは、そちらも時間さえ合えばぜひ見に行きたい。

それから、いくらSNSを検索しても、どこでどんな選挙活動をしてるのかいまひとつ事前に突き止められない謎の第三の候補者についても気になる。

 

そもそもが、平日の朝から晩まであちこちのスーパーの店先で演説の予定を組んでいるということは、平日スーパーにいる層に対して訴えかけているということだ。

一方、与党候補者が駅前の大手百貨店前で首相の応援を入れて合同演説会を組んでいるのは、街のオフィス街やら、高級百貨店などにいる層に聞いてもらいたいことがあるんだろう。

どこに行けば居るのかが事前によくわからない候補者は、主戦場がネットなのかもしれないし、あるいはコアな支持者に向かっての活動をしているのかもしれない。

地元の土地勘があればこそ、活動場所を調べるだけでも見えてくるものがあるのも興味深い。

 

「しかし、演説前にうっかりりんごとじゃがいもまで買い込んでしまったのは微妙すぎる判断であった」

などと思いながら、とぼとぼ帰宅。

北海道民ちくわぶを食べる文化はないが、どういうわけだかたいていの店にちゃんとおいているのが不思議で、時々買ってしまう。

 

 

 

You Tubeで自分の選挙区を検索してみる

そんなこんなで「自分の選挙区をいかにして楽しめるのか週間」開幕中です。

思い起こせば今の住所に引っ越したのが二年前なので、ここは初めての選挙区。

さしあたって現代人らしく、まずYou Tubeで自分の選挙区を検索してみると、ローカルテレビ局が作った各候補者の初鳴きがアップされているではないですか。

これが、思ったよりだいぶ面白い。

 

この人はポスター写りのいいダンディおじさんだけど演説はまったく頭に入らない立板流水方式なのか、と思ったり。

他の候補者がスーツ着てる中一人だけトレーナー姿だと思ったら二世議員で、「どうせ世襲」呼ばわりされるのを気にしてるんじゃないかしらと推測したり。

街宣車じゃなくわざわざママチャリで走ってる人がいると思ったら落下傘候補で、地元密着を強調したい心理なのかなと思ったり。

「野党」「与党」「ゆ党」としてばかりでなくて「いろんな事情の中で必死こいてる個人」として見るとぐっと情報量が増えるので、なるほどこれは実際見に行くもっとおもしろいんだろうなという予感は十分ありました。

どこかの街頭でいずれかの候補が立って喋ってたら今回こそはちょっと足を止めてみようかしら。

 

また選挙区にはその選挙区なりの積み重ねってものもありますから、動画検索すると過去の選挙の街宣がぞろぞろ出てきて、これがまあ面白い。

前々回2014年、第二次安倍改造内閣のときに当時官房長官だった菅さんが自民党系候補の応援に来ている映像が出てきたのです。

一体これは誰なのかなと思うほど、ちゃんと声も出てるし、目の力もあるし、何も見ないで自分の言葉で喋れてるし、やり手政治家っぽいではないか。

……まさか数年であんなに尾羽打ち枯らすとは未来はわからんもんですね。

 

当時はアベノミクスを絶賛売り出し中で、色々と良さそうな統計データを探し出してきては「とにかく景気は回復したっ」と全国を言いくるめて回っていた時期。

東京あたりで株の運用でもしてそうなエリート会社員に向かっていうならまだしも、北海道でそこらへん歩いてる人に

「ね、景気いいでしょっ!」

っていうのは、どう思い出しても無理ありすぎなのですが、全然意に介さない様子がむしろちょっと面白いのです。

あんまり自信ありげに何度も言い切るので、

「これ現場でリアルタイムで聞いていたらうっかりそんな気になっちゃうかもしれないな」

と思うくらいでした。

断言して何回も繰り返せば、群衆は何でも信じるってル・ボンも言ってた。

 

そんなふうにアベノミクスの宣伝に頑張ってる「最強の官房長官(当時)」なのですが、とにかく12月の北海道、寒風吹きすさぶ選挙カーの上、あんまり寒いので何回繰り返しても「アベノミクス」がちゃんと言えないところがまた、うまいだけの演説よりもかえって良くってね。

これは本当に面白いもんだなあ、と思いました。

 

一方、同じ選挙戦で野党系候補のところに応援に来た当時民主党の党首は、開口一番

「生活苦しいでしょう?」

っていう話からはじめているのです。

これが本当に同じ時期に同じ世界を見ているはずの人がした演説なんだものなあ、と、振り返って改めて感心するところでした。

そういう意味ではあの頃に比べると今の方が、わりとどの候補者も言ってることの骨子は似かよってきた感がありました。

 

こういう手軽に使えるアーカイブがしっかり残っていてすぐ比較できるし、過去の振り返りもできるというのはデジタル時代らしいおもしろさ。

足元の選挙を面白がるのに「まず動画検索から」というのは、とりあえず簡単なわりに予想以上の娯楽性があって、なかなか良ろしいのじゃないかと思ったのでした。