歳をとると思いがけないことが色々起こるもの。
昭和52年生まれ、近頃起こったファンタスティックな事件と言えば
「普通に実用的な意味で龍角散を買うようになった」ことだ。
今となっては「あの缶がレトロでかわいいのよぉ」というしゃらくさい動機から買って喜んだりしていた時期もあったことをお天道様にお詫びしたい。
龍角散は最強である。
そもそもが、普通に喋ってるだけなのに突然喉のあたりになんらかの異変が生じて「なんかわからんが、今死にそうだっ」となる現象は本当にここ数年のことだ。
単に体中から水気が失われつつあるという単純なことではあるが、それにつけても、喋る器官と食べる器官と酸素を取り込む器官をひとつで済ませるなんて設計ミスにも程があるというものだ。
40過ぎると折に触れて毎日が命がけすぎる。
龍角散が素晴らしいのは、あの致命的な粉なのである。
ただでさえ季節ごとにパニックを起こしがちな喉の粘膜に、自虐的に細かい粒子が張り付くことで、本格的な危機を感じせしめる。
「あ、今度こそダメだもう無理だっ」
と喉に全神経を集中してからの、有効成分がじわじわと粘膜に吸収されて行く喜びが、だらけた喉の司令塔を大変ぴりっとさせる。
どんなのど飴よりも、龍角散。
家の外では、ちょっと高いけど龍角散ダイレクト。
映画館で、片腹痛い感動シーンになると盛大にむせる傾向のある喉には、カバンに龍角散トローチを入れていくと顰蹙を買わずにすむのだ。
平和は大事。