晴天の霹靂

びっくりしました

フリーダムお雛様の祭典

我が家には豆粒くらいのサイズの雛人形がある。

二年前に亡くなった母のものだ。

自分の持ち物を一切持っていなかった彼女は、当然亡くなったときにも何も残さなかったが、それでも唯一、超小型雛人形だけは、自分用にあったらしく、

「捨てるも忍びないので持っててくれい」

と和菓子の箱に入れて父から託された。

我が家は猫がいて迂闊な場所に小物を置けないので、やむなくカーテンレールの上に飾っている、それくらいささやかなものだ。

 

物も部屋も時間も交友関係も、自分のものはほぼ何一つ持たないまま家庭に閉じ込められて暮らした人が、人生で唯一残していった所有物が、家父長的な婚礼を祝うジオラマだなんて不思議なもんだな、と思う。

自分の裁量で、誰のためでもなく自分のためだけに何かひとつ買い物ができるとして、唯一欲しかったのが本当に、

「高貴な家に家財道具と一緒にもらわれていく女の子」の人形だったんだろうか。

人形は可愛いとは思うけど、考え込めばどうもそのあたりの文脈は私には受け入れ難いものがある。

 

友達から用事のついでにもらった「ひなあられ」と「菱ゼリー」をあけてみた。

スーパーで一番安く売られてるような、飾るものなのか食べるものなのかよくわからない駄菓子的なアレだ。

「あ、いいね。好き好き。こういうちょっとしたまずさの中に抗いがたい魅力を抱きかかえてる怪しげな食べ物好き」

せっかくの節句なのでカーテンレールから形見の雛人形が見下ろす部屋で、甘ったるいひなあられをぽりぽりかじりつつ、唐突にBL研究本を読んで大笑いする。いっひっひ。

見る身体、見られる身体、主体のある身体。

ずいぶんフリーダムな世界があるもんだな。やおい穴とは一体?

ひなあられと菱ゼリーのおかげでさすがに口の中がベタベタして仕方ないので緑茶、珈琲、緑茶、と交互にやたらがぶ飲みする。

甘い、苦い、BL。甘い、苦い、BL。

親の形見の雛人形の前で未知の境地を覗き込まんとする熟女爆誕の瞬間だ。

 

数日前に買った梅の枝も、ほぼ咲きそろい春めいてめでたい。

また来年も雛人形出すころは何か奇抜な自由の祭典をすることにしよう。

そんな感じで、このおひなさん達も、自由になったらいいんじゃないかな。