久しぶりに蒟蒻を買ってピリ辛蒟蒻にした。
「97%の水分および人体では消化できない食物繊維から成り立っているこの物質をわざわざ購入して己が消化器系に送り込む意義とはっ?」
などと店頭では考えてしまうので、うっかりしてると全然買わないまま長い時が過ぎるが、たまに思い出して買うと割とおいしい。
ちぎって下茹でをしたのち、熱い鉄釜に投げ込み、ぶるぶるぴちぴちと響く阿鼻叫喚の声にしばし聞きほれる。
ぐったりしてきたところにごま油をまわして油地獄にし、馴染んだら麺つゆ責め、汁気が飛んだら火を止めて、鰹節ミニパックと七味唐辛子でとどめとす。
制作風景にはちょっとした地獄絵図感はあるので、閻魔が蒟蒻好きなのはこういうところなのかな、と思わないでもないが、それにしてもやっぱり屈強な冥界の王にしては「妙なものが好きだねえ」という感は否めない。
閻魔と蒟蒻は、そもそもどんな因縁であったかしら、と調べてみる。
眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には、私の両目の内、ひとつを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
満願の日に、老婆の目は治りました。以来、大王の右目は盲目となりました。
老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供えつづけたということです。
源覚寺のご紹介より
まてまて、よく読むと大変なことが書いてある。
蒟蒻は「閻魔の」好物ではなくて、「老婆の」好物ではないか。
むかし老婆に親切にしたばかりに宝暦年代以来のお供えものが蒟蒻ばかりになってしまったことについて、そろそろ改めて閻魔の意見を聞いてみなくて大丈夫なのか。
この手の話を聞くと思い出す友人がいる。
兄妹が多く、上と下に挟まれて気苦労の絶えなかった人だ。
彼女は子どものころは「ケーキと言えばモンブランだった」と言う。
そうそう、昔のモンブランって目が覚めるほど真っ黄色で謎のカップケーキだったよね。
などと笑うと、彼女は聞くも涙語るも涙の話をはじめた。
欲しいものを力づくでも取る気の強い上の子と喧嘩にならないように気を配り、下の子はきっと苺のケーキかなんかを食べたいんだろうなあと慮ると、真ん中の自分としては先回りをして最も地味なモンブランを取らざるを得なかった子ども時代であったのだ。
「それがいつの間にか!」と、思い出話は怒りに熱がこもっていく。
家族の中で勝手にそれが「好物だから」ということになっており、以後家を出るまで「あなたはコレよね」とばかりモンブランしか当たらない人生になったではないか!
おかげでモンブランは大変なトラウマである、と。
大変不憫ではあるが、誰の幼少期にもうっすら心当たりのあろう話でもあり、同情を込めて傾聴する。
「でもさ、あなたいまだにケーキ選ぶ時、しょっちゅうモンブラン食べてるよね?」
と、今まさにモンブランを口に運ぼうとするその人を見ながら私は聞いた。
「うん、なんか食べ続けてるうちにモンブランの方で進化を遂げておいしくなってきたから、もうこれで良くなった」
……そういうものか。
つまりは閻魔様も、「江戸の終わりくらいにいったん飽きて嫌だったけど、最近のは色も形もたくさんあっておいしいからもうずっとこれでもいいかな」くらいのことを思っている可能性はあるのかもしれぬ。
我が家の猫の五七日(いつなのか)のために閻魔の裁判を記念してピリ辛蒟蒻を食べながら、辛抱強かった我が愛猫やら、こんにゃくばかり食わされてきた閻魔やら、信心深い老婆やら、黄色いモンブランやら色々思い出す。
優しい人は、心の中にいろんなエピソードを秘めてるものだ。
死後の十王による裁判の詳細は『鬼灯の冷徹』四巻を参照。