今週のお題「夏うた」
我が家では腰高の窓にすだれを掛けてある。
北向きの窓であるので、陽ざしよけというよりは野性味にかける家猫が格子から身を乗り出して下を覗いた拍子に落ちないための工夫という意味合いの方が強い。
そんなすだれ越しの風景でも猫はずいぶん楽しいと見えて、気が付けば鼻先をこすりつけるようにしてちょこんと座っている後ろ姿が見受けられる。
日頃暮らしていて猫は大して視力がいいと思えないのであるが、果たしてあんなに細かなすだれの隙間から面白いものが見えているものか。
「何見てるのー」
風を通すためにドアを開け放ってある隣の部屋から行きがかりに声を張り上げて聞いてみるが、黒い背中はぴくりともせずに一人つくねんとする。
ほの暗いすだれを背景にじっと動かぬ猫というのは、思いのほか賢く見えるものだ。
ふと、何か哲学的な、あるいは禅的な、悠久にアクセスするような尊いことを今まさに考えているのじゃないかしらん、という気がして立ち尽くして見とれてしまう。
さすがに視線と気配に気づいたものか、猫は振り向いて猫並みににゃあと言った。
猫は目より鼻の方がいい。
おそらく何かを見てるのではなくて、風がすだれ越しに入って出ていくのを嗅ぎ分けているんだろう。
「今日は少し涼しいね」
とこちらを向いた黒い顔にもう一度声をかけると、聞いてやったんだからもう礼節は尽くしたぞとばかり、またすだれの方に直った。
だいぶん今日は忙しそうだ。
少しして手帳をめくっていて気が付いた、立秋であった。
さすれば猫があんなにすだれに張り付いて見張っていたのは今年最初の秋の風だったのか。
なんという、猫の感性の天才。
感激のあまり「立秋」の文字の横に「猫が嗅ぎ分ける」とメモを取った。
猫はただ、気に入りの場所に座って、何小節か後に振り向いてにゃあを言ったまでである。
しかるに人間は色々猫に話しかけたり、愚考を弄したり、たいして成果も書かれていない手帳を繰ったりしたのち、おごそかに「うちの猫は天才である」などと理論上大して接続されてもいない判定を下す。
夏も秋もかわらぬ太平の逸民の姿が風に吹かれている。