晴天の霹靂

びっくりしました

私のハクキンカイロ愛 ~ベンジンの価格差の謎編

電気代ガス代灯油代が全部高い中、今シーズンもハクキンカイロが大活躍しております。

もはや、これなしには生きていけない。

 

毎朝起きたら着火して紐で首からぶら下げて臍のあたりをぽっかぽかにしつつ一日過ごしています。

使う燃料は最寄りのドラッグストアで500円程度で手に入る「カイロ用ベンジン

ハクキンカイロには指定ベンジンというものがあるのは知ってはいるのですが、まあ、ベンジンベンジンだし。

日用品なんだから手に入りやすいのが一番だし。おまけに安いし。

最初からこの奥田薬品のベンジンでやってきておりました。

しかし、一方で気になっていたのは、なぜ同じカイロ用なのに指定ベンジンとの間に倍くらいの価格差があるのか。

どう考えても中身なんてそんなに違わないだろうに、という疑問でした。

 

そんなある日、家から二番目に近いドラッグストアにて、ハクキンカイロの指定ベンジンが売っているのをついに発見します。

やはり、見た目たいして違わないのに、千円近くする。

「これは、検証のために一度は使ってみなければなるまい」

と思ったものでありました。

そしたらまあ、驚いた。

 

私が使っているハクキンカイロはミニサイズなので、メーカー公称の持続時間は18時間、実際私が使ってる感じでは十数時間で温かさがなくなる感じだったのです。

それが指定のベンジンを入れたら24時間経ってもまだアッツアツな上に、なんならあつすぎて臍が低温やけどしかねないハイパワー。

 

その上、注ぐときに蓋の空気穴からこぼれないのでベンジンを無駄にしないで済むし、朝から手が汚れるストレスもない。

「これは、もしや高い方の指定ベンジンを買った方がランニングコストとしてはかえって安いのではあるまいか」

という疑問がついに急浮上してきてしまったのでした。

 

使う環境とか使用頻度とかにもよってどういう燃料を入れるのが得なのかというのは変わってくるのかもしれませんが、

「無駄に値段だけ高く設定してるわけでもないっぽい」

ということがわかったのは、ハクキンカイロ2シーズン目にして大発見でした。

今シーズン残りは指定ベンジン使用で様子を見てみようと思っているところ。

 

 

ちなみに火口はシーズン始まってから一回変えておりますが、これも冬のはじめは安くて、年明け以降倍くらいの値段になるので、シーズンはじめに余裕持って替えの分まで買っておくのがコツなのです。

11月に買ったら800円くらいだった。

『イニシェリン島の精霊』 ~親切おじさんと絶交おじいさんと犬とロバ

ものすごく面白かったので、これがこのまま2023年のベスト映画になっても私は驚かんよ。


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アイルランドの小さな島で、ある日突然おじさんが長年の飲み友達のおじいさんから

「お前は話がつまらんから絶交だ」

と言われる話です。

絶交までの経緯も、その後のことも何も説明はないので、ただ絶交という出来事が観客に向かって放り出されるだけ。

「それであなたはどう見た?」

ってのを、誰かと語りたくなる映画でした。

 

邦題が『イニシェリン島の精霊』になっているせいでかえってわかりにくい部分があるようにも思うのですが、原題は「イニシェリンのバンシー」。

「バンシー」はアイルランドの言い伝えで死を伝えにくる妖精のことらしいのです。

絶交おじいさんは、親友のコリン・ファースに絶交を言い渡して、

「お前のつまんない話を聞いて時間を無駄にしないで、俺は作曲をする」

って言って作り始めた曲のタイトルが「イニシェリンのバンシー」なのです。

「つまり、これはおじいさんが死の恐怖と格闘している話だぞ」というふうに私は観たのでした。

 

どんな経緯があったのかはわかりませんが絶交おじいさんは

「ああ、自分の人生ってやがて終わるんだな」

って、ある日ふと思ったんでしょう。

寄る年波かもしれないし、海の向こうアイルランド本土で内戦をしてるのが日々見えている状況下、もしかしたらそこで誰かが亡くなったのかもしれない。

なんとなくふっと死に取り憑かれる。

 

この絶交おじいさんはあんまりしゃべらないものの、家の中に世界各地のペルソナを大量にぶら下げていたり、窓辺に望遠鏡を置いていたりして、明らかに内面が複雑なタイプの人であるし、外の世界への野心も強く持っています。

音大に行った形跡もあるから、いったんはあの小さい島も離れ、もっと広い世界も見た経験もあるのに、何の因果かまた舞い戻ってきて、過疎地で人知れず老境に差し掛かっている。

 

長い年月「自分はこんなところで埋もれていていいのだろうか」という煩悶を一方で抱えているのを、ぐっと年下で陽気で親切なコリン・ファースの満ち足りた人生観が慰めになっていたのではないか。

ある日取り憑いてきた死の予感と自分の人生に対する苛立ちは、もっとも甘えを許してくれる存在であるその親友へ向かいます。

自分の人生がこれほど何もないのは、こんなに野心もなく満足しきった友人のせいじゃないか。

 

そもそもパブも商店も港も郵便局も道路もひとつずつしか無いような小さい島でお互いご近所同士。

物理的に絶交のしようもないのに、わざわざ「絶交だ」と言ってまわって指まで切り落とすのは

「自分はこんなに死が怖いのに、どうして最も親しいあんたがわかってくれないんだ」

という苛立ちに見えます。

コリン・ファースのほうがどう見てもだいぶ若いので、同じ重さで死のことを考えるのが難しいとしても本人のせいではないんですが、そこは友情の切なさ。

 

小さいコミュニティがギクシャクしはじめた中で、ある者は閉鎖的な島から出ていくことを選び、別の者は外の世界への希望を持ちえず島で死を選び、そしてなかよしのおじさんとおじいさんはふたりで内的葛藤に向き合う道を選ぶ。

内的世界で起こってることは一世一代の大事件だけど、絶景の中で画角を引いて見ると超コメディでもある。

 

と、いうように私はだいぶおじいさん側の視点で話が見えておりました。

絶交されるコリン・ファースの方の視点で話が見える人も多かろうと思うし、しみじみ興味深い話でした。

人生も折り返しを過ぎると、死について語ってくれる映画は本当に貴重だと思うようになるもんです。

気持わかるよ、絶交おじいさん。

 

ポイント1%に悩むとき

寒さのせいであんまり腰が痛いので、冬の季語に「腰痛」は入っているんだろうかと調べてみたところ角川の入門用の俳句歳時記には入っていなかった。

みんな、冬は腰が痛むものではないのか。

 

原因の半分くらいは布団に入ったときに寒がりな猫が足の上で寝るせいでもある。

夜中一旦起き上がってお手洗いに行くときなどは一旦猫をどけた後、もはや重力に抵抗する気力も出ず、四足歩行で部屋を横切ったりするわけだが、

「うわっ、人類のくせに気持ち悪い」

みたいな目つきでみられる。

君のせいで寝返りを十分に打てないから筋肉が硬直しているのだよ。

とは思うものの、こちらだってある日突然猫が二足歩行で部屋を横切って小用を足しにいったりしたらそれなりに白眼視するのであろうと思うと、致し方ないことなのかもしれない。

 

クキッとやって変な声を出さないように用心しいしい寒い中スーパーに行ったらサッカー台のところでおばあちゃんと孫と思われる二人連れがいる。

壁に貼ってあるプリペイドカードのポスターを見ながら孫が言った。

「ポイント1%だって。一万円買っても一円しかつかない」

たいていデビットカードで支払いをしてる私は隣でこっそり思った。

「へー、プリペイドカードってそんなもんなのかねえ」

孫は世の不正を暴くかのような決然とした声でもう一度きっぱり言った。

「一万円で一円だよ」

あれ?と思って慌てて心の中で一万円やら一円やらいろんなものを掛けたり割ったりしてみるが、孫の言う通りの結論にどうしても到達しない。

「1%のポイントってねえ」

良い声で何度も繰り返されると、小学二年生の頃から算数が苦手な私は「ひょっとしたら自分が?」という疑惑を抱いてしまうのだ。

いや、孫あんなに大きな声で繰り返してるし、おばあちゃん無言だし、私のほうが間違えてる可能性あるぞこれ。

そう思ってドキドキしながら耳をすますが、ついに誰からも異議申し立てはなかった。

 

ひとり荷物を抱えてスーパーの外に出て、息苦しいマスクを外しながら思わず普通に声が出る。

「いや、百円だろ」

ちなみに孫、大学生くらい。

おばあちゃんの買い物に付き合う好青年であった。

 

 

 

 

腰痛なのにすごく寒い中外出せねばならぬ日の神。

大殿筋のちょっと上あたり、冷やしては二度と帰ってこられなくなるおそれがあるからな。

 

 

 

『大奥』~いきなりただ事じゃないと思ったら。

NHKドラマ『大奥』が面白い」

という話が、たまたまつけていたラジオ番組から聞こえてきたときには、私はまだ油断しておりました。

一応大河ドラマにつきあってるし(何がおもしろいのかまだあまりピンときていない)、時代物ドラマはひとつ見れば十分だよなあ、なんて聞き流したところで、今度は別のコーナーでお天気キャスターの人が出てきて

「私も『大奥』見てます。面白いですよねー」

なんてわざわざ蒸し返したのに及んで、おやおやこれは?という気になってきたのでした。

www.nhk.jp

 

そうは言ってもテレビドラマの時代物は基本的に「コスプレ学芸会に見えるのが気恥ずかしい」と思いこんでる節のある私としてはまだ疑っておりまして、ドライヤーなんかかけながら

「じゃあ、雰囲気だけチェックしておくかー」

なんて、オンデマンドを観始めたもんです。

その後「まあ、ちょっとまて。落ち着け」と一時停止を押し、いそいでグワングワンに髪を乾かし、しっかりパソコンの前に座ってそのまま現在公開中の第三話まで一気に全部見たのでありました。

 

おちおちドライヤーも掛けていられないくらい冒頭から設定がヤバいと思ったら、そうか。『大奥』はよしながふみさんの『大奥』だったのか。

こういうヒット作があるのはたしかになんとなく知っていたが、読んだことはなかったし、アレがコレだとは思っていなかった。

それはそれは。これはこれは。

あまりにもドラマを一気に観終わってしまったため、つい原作コミックも買い、今まだ読み始めたとこながら、当然原作も大変おもしろいです(今さら)

 

コミックのほうが感情の繊細なところまで細かく描くことができているのだけど、今回のドラマは何がうまくいってるのかといえば、意匠がポップになってることによってちょうどいい具合のマジックリアリズム感みたいなものが出ていて、そのおかげでコスプレっぽさみたいなものは逆に負担にならないのです。

時代がかったセットの中で現代風の顔つきの役者さんたちが感情を伝え合うのを、「男性が女性に選ばれなければならぬ世界ならばかくもあろう」というちょっと見慣れない種類のきらびやかさが取り持つ、その噛み合い度合いがちょうどバランスが良い。

 

とても不運な目に遭う猫さんが出てくるので、猫に関する感情出力が調整できない人はちょっと気をつけたほうがいいシーンもあるんだけど、ちゃんと抑制きいてて好感持てる演出であるなと思いました。

 

今後もたいへん楽しみだ。

大寒波における異文化交流

母の月命日に納骨塚に集合して父娘で般若心経を唱えるという、異次元の珍妙エンタテインメントを実施するようになって三年目である。

未曾有の大寒波が来ている中、いつものように霊園に向かうと、老人は私が昨年末に編んで渡した真紅のマフラーを巻いてそこにいた。

「長いマフラーもいいな」

とあんまりストレートに礼を言うのも照れるのか老人は言う。

「うん、あったかいでしょ」

「あったかいのもそうだし、顔にも巻けるから。銀行強盗もできるだろ」

「……?」

ギャグなのか、色々気を使おうと考えた末に着地点で足がもつれたのか、もはや私には判断がつかないが一応喜んではもらったようで良かった。

仲良くはないが、仲悪いわけでもない血縁者ってのも図り難くて面白いもんである。

 

「まだストーブなしで暮らしているのか」

よほど驚くのか、父は冬に私にあうと決まって同じ質問ばかりする。

我が家も厳密にいえば、どうしても洗濯物が乾かないときのための小さい電気ストーブとか、窓からの冷気の侵入を防ぐためのラジエーターとか、猫用のこたつとか、首からぶら下げるハクキンカイロとか、それなりに暖房はあるのだが、生粋の北海道民が「ストーブ」というときに脳裏に浮かんでいるでっかいFF式の最強灯油ストーブは存在していないので、「暖房器具なしで暮らしている変わった人」ということになってしまうのだ。

「集合住宅で周りの家はストーブつけてるんだから、うちまでつけなくても別にそんなに室温は下がらないよ」

いつものように私はあなたまかせの適当理論を答えるのだが、本音である。

「まあな。朝起きたら金魚鉢が凍ってるような昔の木造の家と違うもんな」

と父は答えた。

「あ、あのへんそんなに寒い?」

と聞き返したが、よく考えれば父が育ったのは旭川よりまだ北にある街だ。

金魚鉢もボールペンのインクも、およそ液体たるものはなんでも凍るに決まっている。

「寒い寒い。氷点下20度を下回ったら学校が一時間遅れになるのが楽しみでな」

「えっ、そんなのはじめてきいた」

「どこかの角に赤い旗が立つんだよ。それが立ったら一時間遅れ。たしか違う色の旗もあったな。白だったかなあ。あれは氷点下30度以下で、二時間遅れかなにかだな」

「氷点下30度でも子どもを学校まで行かせるのか。もう車のエンジンもかからないよね」

「車なんてないから困らん。除雪車もないから雪かき面倒くさければ踏み固めるだけだし」

「はー」

今や除雪車が街じゅうの雪を綺麗にしてくれるからこそ、除雪車の稼働がおいつかなければ即座に都市機能が全面停止するが、最初から除雪を適当にしていれば、急激に何かが破綻することもないというのは目から鱗の発想ではあった。

「そもそも冬に夏と同じことしようとするのが間違ってるんだ」

「おおお!」

自分の身内から発せられた黒板五郎みたいな発言に感動のあまりでかい声が出る。

 

世界にわかり合えない人が居るってすごいことだ。

この人は一方では、「普通に生きていれば全員が手厚い福利厚生つきの仕事につけて、車と家族と家を持つ」もんだと思いこんでいる特殊な部族の構成員でもあり、自分より一世代下がれば「どういうルートを辿っても最終的には人生詰むように社会が設計されている」ということをいまも飲み込めないでいるために、私にとっては対話に苦労させられる相手でもある。

しかしまあ、それほどの世代の断絶の中にこそ、埋蔵金みたいに面白いものもたくさん隠れてもいるのである。

「冬に夏と同じことをしようとするほうが間違っている」という認識に基づいて回っている社会について想像してみたこともなかった。

もしかしたら、社会はそういう方向に帰っていこうとするのかもしれない。

 

自分と似た人とばかり話していていても、互いに新しいものは見いだせないが、理解できない相手だと気遣いながら喋る中に、感触のいいやつも良くないやつも、とくかく斬新な異物がボロボロ入ってるもんである。

げに目も覚めるほどの大寒波。

 

ワイヤレスイヤホンになんらかの不満のある人はイヤカフ型を試してみるべきだと思われる

ワイヤレスイヤホンって、耳穴に圧迫感あったり、蒸れたり、落ちたり、のどれかで結局装着感はあまり快適なものではない、と思ってきた私が、ついに結論にたどり着いてしまったので自慢気に書いておきたい。

 

正解は、イヤカフ型である。

耳穴につっこむのではなく、耳の防波堤にひっかけるのでもなく、耳の椎茸のところを挟むものだ。

イヤホンを使うたびに

「自分は標準と比べて耳穴サイズがそんなに違うんだろうか」

というような疑問と不満を長年抱えてきた人にとって、すべてが解決する魔法の形状となっている。

 

タイムセールで、どこだかあまりよくわからないメーカー製、5千円を少し下回る価格。

ワイヤレスのイヤホンとしては安い部類なので「音質の点ではたして納得いくのだろうか」という心配をしながら購入した。

しかしこの心配も、つけた瞬間に雲散霧消。

音質がどうのこうのより、耳穴が快適かどうかのほうが、使用感としては優先度合いが高かったのである。

そもそも音質に拘ってよい音楽など臨場感満点で聴きたいタイプの人は、このような外音取り込み型を最初から選択肢に入れないような気がするし、

私のように隣の部屋で猫がいたずらしてないかを気にしながらパソコンで人の声などを聞くのに使う、というようなケースであれば必要な音がちゃんと聞こえて耳が快適であれば十分でもある。

 

とはいえ、いい音で聴きたいものを再生するケースも無いわけではないし、あとイヤカフ型という便利さに衝撃を受けたので、もう少し価格帯の高いのイヤカフ型も試しに買ってみた。

1万7千円ほどで、AirPodsに比べれば安いとは言えるが予備用のイヤホンとしては発奮した買い物だった。

なにしろバカ耳なうえにたいしたものを聞いていないので、値段の違いわりに音質の差があんまりよくわからないのだけど、装着感が明らかに違っておもしろい。

こちらのBPRのイヤホンは挟むところが狭くて硬いので、最初に装着するときにちょっと面倒くさく、装着場所がちゃんとあってないと若干痛かったりもする。

そのぶん一度きちんと合わせてしまえば、つけてるのを忘れるくらいの快適さのうえに、絶対にずれないし、はずれない安心感がある。

たぶん、つけたままジョギングとかも余裕だろう。

 

じゃあ、外につけていくときはこっちの高い方をしていくかというと、そうでもない。

一日の中で何度もマスクをつけたり外したりする昨今、そのうえ場合によってはメガネをつけたり外したり、ピアスがひっかかったり、マフラーを巻いたり、なにかと耳周りが忙しい季節だと、もういっそのこと外しやすく外れやすいほうが気楽だったりするケースなどがあり、甲乙つけがたくて両方愛情を持って使い分けている。

 

いずれにせよ、イヤカフ型に目覚めた以上もうカナル型に戻ることはないであろうと私は確信してるものであるが、こんなに使い心地良いのに、案外このデザインのイヤホンが少ないのはなぜであろうかということは甚だ疑問でもある。

私以外の人はみんなそんなに画一的な耳の穴をしているんだろうか。

『ジャクソンひとり』~世界を拡張する言葉

第168回芥川賞が決まったときに、つらつらと候補作などを見ていて、受賞作はさておき(それもきっと面白いに違いないからいずれ読もうとは思ったが)、さしあたってなんだかやけに気になったのが『ジャクソンひとり』だった。

タイトルも装丁も、もうそこにあるだけで膨大な物語が連想されるではないか。

新刊で高かったので迷ったんだけど、どうにも気になったので買ってみた。

実際読んでる間ずっと楽しくて、閉塞感とか圧倒的な無力感とかはもちろんあるんだけど孤独なジャクソンたちがむき出しの世界の中を手探りで生活する様子はやっぱり楽しくて

「そうそう、私は怒りや不快感に関するちゃんとした語彙を獲得したくて小説などを読んでいるのであったなあ」

ということをしみじみ思い出していた。

 

「ううん、 飽き た。 そろそろ 帰る」 「君 は 怒る のが 下手 だ ね」 「本当に 怒っ て ない よ。 お前 の 声 が 不快 なだけ」 「酒 や けし てる から?   黒人 っぽく て 気に入っ て ん だ けど な」 「その 言葉 が」 イブキ は 偏頭痛 が 起き た みたい に 右手 を 頭 に かざし た。 「当事者 じゃ ない 奴 が 言う『 黒人』 って 言葉 が、 俺 たち に どう 聞こえ てる か 知り たい?」 「うん、 興味深い」 「なん かね、 すっごい 濁点 が 多く 聞こえる の。 耳 に すっごい 障る ん だ よね」

安堂ホセ. ジャクソンひとり (p.101). 河出書房新社. Kindle 版. 

 

絡まり過ぎていていちいち相手に何がどう不快なのか説明する気にもなれないような不快感に対して「なんかすっごい濁点が多く聞こえる」とういう表現力は、ちょっと言い足りてないようでいて、生々しさとスピード感は使い古された言語表現の先にある。

こういう言葉は、小説の中にしか落ちていないように思う。

 

世界は常に言葉より先にあるのだから、もっと新しい小説もたくさん読まないとなあ、「百年前の版権切れた本ばかり読んで嬉々としてる場合でもないんだよな」というようなことをつくづく思った一冊だった。

芥川賞直木賞とかって、発表前に候補作を全部読めるムック本みたいなものを販売してくれるわけにはいかないんだろうかね。

普通にアカデミー賞みたいに楽しみたいんだけど、全部読む予算はなかなかない。

 

 

 

 

ちなみに軽いタッチのユーモアの多い文章の中でも、しれっと『君の名は。』が出てきたシーンがすごくおかしかった。

今週 の ロードショー は アニメ で、 男子 高 生 と 女子 高 生 の 体 が 入れ替わる 映画 だっ た。 「なに が『 入れ替わっ てる う ~?』 だ よ」   残っ た ピザ を 口 に 運び ながら エックス が 悪態 を つき、 笑い を 誘っ た。 「こいつ ら 別 に、 髪 と 制服 とっ たら そもそも 同じ 顔 じゃん。

安堂ホセ. ジャクソンひとり (p.42). 河出書房新社. Kindle 版. 

 

そうそうそうそう、それそれ。

あの国民的アニメ作家の無意識の鈍感さみたいなもの、それだよ私もずっと気になってたやつ!

……と、一緒に心のピザを食べつつ思った。いいね、ジャクソン。