晴天の霹靂

びっくりしました

暑さで狂いつつある日の『シャイニング』

あんまり暑いので人類はちょっとずつ気が狂いつつあるに違いない。

給湯器から出る最低温度である37度のぬるま湯をへそくらいの高さまで浴槽にため、ペットボトルの麦茶と防水のKindle Paperwhiteを持ちこんで籠城する。

 

換気用の窓しかない浴室は比較的涼しく暗く、そこで生命誕生のスープみたいな液体に浸かっているとじわじわ世間から隔絶する感覚になる。

「あのドアが開かなくなって、このまま閉じ込められたりして」

などと、試しに考えてもみるが、暑いだけでろくに活動もできない世界に帰るよりも、このままここで膨大な量の本の入った電子書籍リーダーだけと交流を持ちながら異様な精神状態で生きる方が面白い可能性はある。

 

麦茶をちびちびやりながら、読むのは『シャイニング』だ。

映画のジャック・ニコルソンの印象が強すぎるので、「元々異様な夫と、ホラー映画のやられ役にしか見えない妻が子連れでホラーっぽい設定の中で暮らしたら案の定ホラー展開になった」という話だったような記憶になっているが、実際にはまあまあどこにでもいそうな若い夫婦の話だ。

各々が良かれと思って奮闘しても、物事が煮詰まる方向にしか進まないときはある。

 

ほとんど明るいことは起こらない話の中で、一家が冬季閉鎖直前のホテルに管理人として越してきて、膨大な量の食べ放題貯蔵庫を案内されるシーンはちょっといいと思う。

 

大きな ビニール の 袋 に はいっ た ハンバーガー ─ ─ ひとつ の 袋 に 十 ポンド ずつ、 それ が 十 二 袋。 板張り の 壁 には、 丸 の まま の チキン が 四十羽、 ずらりと 鉤 に かかっ て 並ん で いる。 罐 詰め の ハム が ポーカー・チップ の よう に 重ね られ、 その 山 が 一 ダース も ある。 チキン の 下 には、 ロースト 用 ビーフ の かたまり が 十 個、 おなじく ポーク が 十 個、 それ に 巨大 な ラム の 肢 が 一本。 「ラム は 好き かね、 ドック?」 ハロー ラン が にやにや し ながら 訊い た。 「好き だ よ」 ダニー は 即座 に 答え た が、 じつは 一度 も 食べ た こと が ない の だっ た。 「きっと 好き だろ う と 思っ た。 寒い 夜 には、 ミント・ゼリー を 添え た ラム の 薄切り を 二枚 ばかり ─ ─ これ に まさる もの は ない ね。 ミント・ゼリー も ここ に ある。 ラム は 腹 ぐあいをよくするんだ。 腹 にも たれ ない 肉 なのさ」

スティーヴン・キング. シャイニング(上) (文春文庫) (p.133). 文藝春秋. Kindle 版. 

 

そんなでかい肉ばっかりあっても調理が大変なばかりだし、もうちょっと消化しやすい穀物とかさ。とは思うけど、何にしろ豊かな光景は読んでいて楽しい。

ミント・ゼリーを添えたラムの薄切りなんて、もはやどこを目指した献立なのかもわからない。

ひと冬新しい情報の一つもなくてずっと同じ顔と同じ景色だけ見ていなくてはならないとなればいろんなものを作って食べてみたりもするんだろう。しかし肉とミントゼリーとは?

 

そうこうするうちに私のペットボトルクーラーに入った500mlの麦茶も底を尽きたので、しぶしぶ我が家のオーバールック(展望荘)を出て身体を拭く。

どうやら、多少は涼しくなったようだ。気が狂ってしまう前に。

 

 

この顔はどう考えても「ホテルとか関係なく元々おかしな人でしょうよ」というふうにしか見えないところが映画として成功なのか失敗なのか。

大いに疑問に思いつつも、再生しはじめるとつい息を止めて最後まで見入ってしまう。