晴天の霹靂

びっくりしました

『堕落のススメ』~ぶん殴らないファイトクラブ

今週のお題「大切な人へ」

 

最近ちょっと変わった映画をみました。

堕落のススメ(字幕版)

堕落のススメ(字幕版)

  • 発売日: 2019/09/04
  • メディア: Prime Video
 

 弁護士で、結婚も間近である26歳の真面目なお嬢さんアナがある日自分のドッペルゲンガーを見るのです。

びっくりしたものの、そういうことならこれ幸いとドッペルゲンガーに生活の維持を任せて、本体(?)は失踪します。

安い下宿に落ち着いてニナと名乗り、ちょっと怪し気なお店でダンサーとして働きはじめたり、髪を真っ赤に染めて露出の多い服を買ったり、いきなり「ナンボやねん」とか言ってくるムカつくイケメンと関係を持ってみたり、色々します。

 

というわけで、つまるところぶん殴り合いとテロリズムを差っ引いた『ファイト・クラブ』です。ブラット・ピットのタイラー・ダーデン最高でしたね。

Fight Club (字幕版)

Fight Club (字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

『堕落のススメ』で興味深いのは赤毛のニナは「臆病」ということをやたら糾弾します。

下宿先のやつれた女主人は、チャラい下宿人のひとりと愛人関係になっていて都合のいいように扱われている一方で、ニナには「あなたが身を持ち崩すのを見てるのはつらいからちゃんとやれ」と説教をします。

それに対してニナが激高して言うのは「あなたが臆病なのは私のせいじゃない」ということです。

 

あるいは、どう考えても不毛なのに愛人関係を続けている「ナンボやねん男」が「いつかは街を出たいが、なんでも思い通りにいくわけじゃない」なんてぶつくさ言うのに対して、「あなたに勇気がないだけだ」と言い張り、おかしな空気になったりします。

 

ずっとまわりの望む人間を生きてきて、その結果自分を死んだように感じるニナは、自分の未来像を投影している下宿のおかみさんや、自分を救ってくる新たなる価値観の象徴であってほしい「ナンボやねん男」が、自分とまったく同じ弱点を持っていることを絶対に許そうとしないのです。

ファイト・クラブ』のタイラーのようにあちこち喧嘩腰で今の人生をどうにかするようにたきつけた結果、赤毛のニナは行くところがなくなり、結局は人が望む優等生として地味な生活を維持し続けているアナのところに帰るしかなくなったのでした。

どうしうるかと言えば、どう考えてもニナとアナで話し合ってふたりとも殺さないでいられる新しい人格を形成するしかないのでしょう。

 

ファイト・クラブ』では「僕」とタイラー・ダーデンの間を橋渡ししてくれる恋人マーラ(ヘレナ・ボナム・カーター)の存在があったので、最後は「僕」がピストルで頭を撃ち抜いてタイラーを殺すことで新しい人格の形成が可能でした。

その点『堕落のススメ』のナンボやねん男は何の役にも立ちませんし、フィアンセはそれ以上に影が薄いですから、人格形成はこれからようやく始まるところ、というあたりで映画は終わってしまいました。

 

下宿のおかみさんが自分のぱっとしない人生を棚に上げていみじくも赤毛のニナに説教したように、恵まれた家に生まれてよい教育を受け、大きな挫折も経験せずに人から祝福されるフィアンセと仕事も手に入れたお嬢さんいきなり「これじゃ生きてる実感がない!」などと言い出すと、そういう恵まれたカードを見たこともない人間にしてみれば「何をわがまま言ってるんだ。早く大人になれ」くらいの感想をもつし、その感想自体は別に間違えでもないんでしょうが、間違えていないからと言って別に本人の苦しみが減るというわけでもないのですよね。

 

客観的にみてどれほどわがままで、幼く、馬鹿っぽく見えても、ドッペルゲンガーが現れたときは、それはめちゃめちゃ大切な人なので、ちゃんと話は聞いた方がいい、という映画でした(まさかの強引なカーブ描いて今週のお題「大切な人」に着地させた)。