晴天の霹靂

びっくりしました

『ドリアン・グレイの肖像』~すごく美しいと歳をとるのってそれだけ怖いものなのか?

そろそろ時期だなあ、とうすうす思ってましたが、週明けがアカデミー賞の発表なんですよね。

実は昔からうっすら「オスカー像と、オスカー・ワイルドって……何か関係……あるわけないよね?」みたいなもやもやがありました。ちゃんと調べたらちゃんと関係なかったのでやっと安心。インターネットができる前の時代からぼんやり疑問に思ってることって、インターネット登場後も意外と調べてなかったりしますね。

そもそも、なぜアカデミー賞のトロフィーが「オスカー」と呼ばれてるのかがよくわかってない、というあたりはむしろびっくりしましたが、なぜ私がオスカー・ワイルドと結びつけてしまったのかと言えば『幸福な王子』の、金箔をはった王子像とあの金ぴかの像が意識のどこかでごっちゃになっていたのではないかという結論に至った次第。

 

 そんなわけで勝手にオスカー週間ということで何の関係もない『ドリアン・グレイの肖像』を読んでおりました。

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:ワイルド
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/12/07
  • メディア: 文庫
 

 目の覚めるような美青年ドリアン・グレイと、その青年を巡って、やたら露悪的な性格のヘンリー卿と、人がいいけどややつまらない性格の画家のバジルがわっしょいわっしょいなる話です。

 

ドリアン・グレイがあんまり無自覚に美しいので、色々たきつけて悪いことをたくさん教え、立派なモンスターに成長したあたりではしごを外すヘンリー卿が、なんとなく悪徳アイドルプロデューサーっぽく思えて非常に面白い。

口が達者なのでうっかり感心して聞いてしまうけど、基本的に何言ってんのかよくわからない感じとか、友達にはなりたくないけど愉快でした。とりあえず手あたり次第逆バリしてけばなんとかなる、みたいなスタンスって、ツイッターあたりで見かけるとつい熟読してしまいがちですものね。腹の立つ相手というのはちょっと魅力的なんでしょう。

 

それに比べて物語の要になる肖像画を描いた画家のバジルさんは非常に大きな役回りなのに地味でなかなか切ないものがあります。

これが「同性愛タブーなし」の現代の状況であらためてオスカー・ワイルドにこの三者関係を描きなおしてもらうことができるものなら、このバジルさんは口に出さない切ない胸の内が非常に多くあり、熱量の多さではむしろ主役級ではないかという気さえします。しかし、かたや絶世の美青年、かたや口八丁手八丁の快楽主義者と並ぶ中で表立った行動だけ見てると常識屋の画家たるもの、本当に地味。華がなくうまれるって切ないものよね、バジルさん。

 

芸術至上主義の耽美的な小説かと思って読んでいくうちに、頭の中で展開する映像は最終的にはゾンビ映画みたいなところに着地する大アクロバット、楽しかったです。