晴天の霹靂

びっくりしました

『セックス・エディケーション』のなかの『ロミオとジュリエット』 

Netflixオリジナルドラマ『セックス・エディケーション シーズン2』を見終わりました。相変わらずめちゃめちゃ面白いな。


『セックス・エデュケーション』シーズン2 予告編 - Netflix

 

中でもクライマックスのひとつに使われてる劇中劇『ロミオとジュリエット』の演出の素晴らしいのに驚きました。

アメコミやSFのオタクである色々素っ頓狂な女子高生リリーの演出で、頭に女性器かぶったキャストが出てきて前衛的なダンスを踊るなど奇抜かつド派手な劇に仕上がっています。

堅物保守派の校長が乱入し「破廉恥だ」とかなんとか言って中断させてしまうのではありますが、生き生きとして感動的なショーなのです。

 

それはそうと、なぜ劇中劇は『ロミオとジュリエット』だったのか。私のなけなしの知識から言うと、奇抜な演出にうってつけ、かつ性の多様性のシンボルとしてのお馴染みの演目となると、むしろオスカー・ワイルドの『サロメ』あたりなんじゃないのか。などと思って、今さらながら読み返してみたのです。

 

新訳 ロミオとジュリエット (角川文庫)

新訳 ロミオとジュリエット (角川文庫)

 

 

テーマのひとつは、いきなり冒頭に書いてありました。

親世代の因習のせいで次世代が壊滅的な打撃を受ける物語、です。『セックスエディケーション』は自分たちの世代に合わなくなった偏見は乗り越えていこうとする試行錯誤は大きな軸のひとつでもあり、これはわかりやすく納得できます。

 

さらに『ロミオとジュリエット』はそもそも性にたいして大変あけっぴろげな物語で、全編にわたって誰かがどこかで常に下ネタを言ってるような状態であり、そのへんを踏まえると頭に性器をのっけて踊るような演出の方がわりと正しいような気さえします。というか、「破廉恥だ」とか言って乱入してきてしまった校長はシェイクスピアをちゃんと読んでいないんじゃないか。

 

印象深かったのは、たった14歳の処女のジュリエットの性欲がしっかり描写されてることでした。ハンサムなロミオと知り合って密かに結婚の約束して「うわ、初夜とか超楽しみー」とめちゃめちゃテンション上がる様子が朗らかでかわいいのです。

この女子の朗らか性欲は『セックスエディケーション』のあちこちに散見され、感動させられるものでありました。

 

初めてのことだから不安も多いけれど「めっちゃ楽しみっ」というポジティブエンジンのもと、それぞれ独自の森で迷子になりつつ知識を手に入れて前に進んでいこうとする姿が滑稽でもあり感動的でもあるのです。その「めっちゃ楽しみ」のピュアな感覚はそのままジュリエットによってのびのび体現されているものでした。

 

思い起こせば第一話、退学になったメイヴが復学を求めて学校に乗り込んでくるシーンがあります。

彼女は在学時に闇アルバイトでいろんな学生の作文を代筆、それが賞をとりまくっていたという事実を暴くために校内放送ジャックして、自分の作文を読み上げるのです。それが「シェークスピア作品の女性の権利」というテーマでした。父親の反対を押し切って自分の意志で結婚相手を決める女性キャラクターについてのその考察は、やはり校長の乱入によって途中で打ち切られてしまってその先は聴けません。

しかしこの段階でヤンキー秀才フェミニスト、メイヴが指摘した女性の性の主体性の問題は、全編にわたって彼女たちが実践的に悩み、乗り越えていく問題であって、最後は『ロミオとジュリエット』のイケイケ演出によって結実するするからこそのカタルシスだったのです。

 

『セックス・エディケーション』シーズン1も2も、めちゃめちゃ面白い。