晴天の霹靂

びっくりしました

『上海游記 江南游記』~木に登る方のお馬鹿さん

昨年末NHKで放送したドラマでスペシャルドラマ ストレンジャー~上海の芥川龍之介~ 』なる作品があった。

松田龍平芥川龍之介役で、新聞社の特派員として上海を訪れたときの様子を紀行文『上海游記』 をもとにドラマ化してある。

 


A Stranger in Shanghai Trailer | 2019 Japan Cuts Hollywood

 

なかなか面白かったし、昨今の役者の肉体改造流行りから考えるに、額の毛をそっておでこを広げたり、20㎏ほど体重を落としてギョロ目を再現したりしてて出てきてもおかしくないような気もするところ、ちゃんとそのままの松田龍平の、ややぼんやりした風貌で出てきてるところもとても良かった。

 

芥川龍之介については、私はひとつの確信がある。何年か前に、「木登りをする芥川龍之介」の映像が発見されたのを目にしたときに、強く思ったのだ。

「この人、結構馬鹿に違いない」

直後に「ぼんやりした不安」で命を絶ってしまうような人が、カメラが回ってることでテンション上がった挙句、子供をさしおいて猿のごとく器用にひょいひょいと木を登っていって屋根づたいにはけていくのである。なにか若干の、わかりあえそうな「お調子者感」を感じる。


芥川龍之介 生前の映像 昭和2年(1927) Ryunosuke Akutagawa

「ああ、芥川のこの側面がみたい」

と、小説を読むたびに「美文すぎて目が滑る」という感想ばかりもっていた私は思った。享年わずか35歳である、どこで切っても年齢なりには馬鹿な青年であったはずじゃないか。

 

 

 

上海游記・江南游記 (講談社文芸文庫)

上海游記・江南游記 (講談社文芸文庫)

 

 

上海游記 江南游記』の芥川は、まさに松田龍平が表現したごとく、ちょっと一本ずれたようなユーモアがある生き生きとした青年である。

 

驢馬は私を乗せるが早いか、一目散に駆け出した。場所は蘇州の城内である。

 

この目に浮かぶような頓珍漢なおかしみのある一文からはじまるのは「蘇州城内(上)」という章だ。

 

前頭葉が二人前は入っているに違いないあの異様な額と切れ長の眼光をビカビカに光らせながら中国の雑踏の中を爆走する驢馬の背に必死にしがみつく芥川を連想すると、それだけで愛しくおかしいことこの上ない。

しかもなぜそんなあぶなかっしい土地で、乗ったこともない驢馬を無謀にも蹴立てているかと言って、汽車を三本も寝過ごしたからである。こういう人を馬鹿と言わずしてなんというのか。

この驢馬にしがみつく芥川は、あの木に登る芥川ではないか、見つけたぞ。

 

革命直後の政情不安定、子どものころ憧れていた文化文明の衰退、そここに散見される想像を絶する貧困、加えて肋膜炎で三週間も入院する体調不良もあり、大変な滞在だったろうが、それでも次から次へと新しいものを見ることを喜ぶこの快活さである。

 

良かった良かった。この度芥川のことをとても好きになれてよかった。木登りの一件以来、この人のことはいつか好きになれると、思っていたんだよ。

 

 上海の日本婦人倶楽部に、招待を受けた事がある。場所は確か仏蘭西租界の、松本夫人の邸宅だった。白い布をかけた円卓子まるテエブル。その上のシネラリアの鉢、紅茶と菓子とサンドウィッチと。――卓子テエブルを囲んだ奥さん達は、私が予想していたよりも、皆温良貞淑そうだった。私はそう云う奥さん達と、小説や戯曲の話をした。すると或奥さんが、こう私に話しかけた。
「今月中央公論に御出しになった『鴉』と云う小説は、大へん面白うございました。」
「いえ、あれは悪作です。」
 私は謙遜な返事をしながら、「鴉」の作者宇野浩二に、この問答を聞かせてやりたいと思った。 (『上海游記』 十九 日本人) 

 

 申し開きの難しい海外でややこしい悪戯して帰ってくるの、よしなさい。

 

 

 

青空文庫でも読めます。

www.aozora.gr.jp