晴天の霹靂

びっくりしました

良い陽気になると

野菜直売所でルバーブが売っているのを見つけたので買ってきてジャムにしてみた。

ずっと昔お菓子づくりの本ではじめてみかけて

「あんなフキみたいな見た目のものを甘くするというのはどういう食べ物なんだろう」と興味津々だったものだが、買ってきてかじってみるとすぐ納得のいく、子どものころ道端でむしって口に入れたスカンポの味だった。

「ははあ、酸っぱい野草の大きいやつだったのかあ」

としきりに感心しながら砂糖と一緒に煮詰めた。

きび砂糖で似たので色は茶色いし、たたみっぽい匂いがするし、なかなか変わったジャムにはなったけれども、積年の好奇心の塊ジャムと思うとちょっと嬉しい。

 

それにしても、子どもっていうのは日常犬が散歩してるような道端に生えている草さえかじる、ずいぶんチャレンジングな生命体だったものだなと思いだされる一方で、賢しらに世界を危険のある場所だと仮定して動くようになったことで一気につまんなくなったものもいっぱいあったに違いないよな、とも思う。こういう味の茎は久しぶりだ。

かすかなスカンポの記憶から、世界が今と違って見えていたころを日差しの向こうに思い出すような、思い出せないような。

 

 

 

 

 

今日のうちの猫チャンネル


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お題「うちの猫自慢」

猫ちゃん目線ジェネシス~動画の夜明け

 

最近の動画編集ソフトがどんな感じになってるのか知りたかったこともあって、うちの子の動画編集を手伝いました。


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どれがいいのか全然わからなかったのでPowerDirector 365というソフトを試しに使ってみたんですが、自動書き起こしとか自動画像生成とか、AI機能があるとやっぱり劇的に便利ですね。

ただ、やっぱり体表が毛に覆われていると自動背景除去あたりはさすがに厳しいんだなと、だいぶ苦労した末に思いました。

先日見た『猿の惑星 キングダム』とかは、やっぱり正気じゃないくらいすごいのだなと思いました。あんまりすごすぎるので目が慣れて普通に見えてきちゃって申し訳なかった。っていうか比べるのやめなさいって話ですけど。

 

 

 

今週のお題「懐かしいもの」

トーマス・マン『魔の山』~ソフトクリーム小説の最高峰

今月のNHK100分de名著がトーマス・マンの『魔の山』なので即効テキストを買いました。待っておりました。

魔の山』という長い小説が好きなんです。

理解するには長すぎるので意味は全然わからんのですが、抗生物質発見前の金持ち向け結核療養所ということろが、まあ読んでて楽しい。

療養所と言っても、きれいな空気の中でしっかり栄養取るくらいしか治療の方法もないというので、一日四回も豪勢な食事をとって、散歩して、絶景見ながらバルコニーで昼寝したりしてるのです。

またこの食事が乳製品とか果物とか、とりわけ私の好物が充実したメニューなので読んでるだけでテンション上がってしまうことこの上ない。

たぶんトーマス・マンが意図した小説の趣旨じゃないよなあ、と思いつつ「なにこの療養所最高!行きたい!」という熱をこめてそこらへんばかり読んでしまいます。

 

最近私が週末ごとに野菜を買いに行く農産物直売所に、しぼりたての牛乳をその場で加工して農場の売店でだけ販売しているめちゃめちゃおいしいソフトクリームがあるんです。

売店の前には座って食べられるようにベンチがたくさん出してあって、みんな気持ち良い農場の風景を見ながらソフトクリーム片手に並んでくつろいでいます。

その風景の気持ちよさと、知らない人たちがいろんなところから集まってきて一斉に同じ方向を向いて安静にしてる風景を観るたびに「おっ、『魔の山』だね」と実は毎回毎回思っており、自分でもソフトクリームを買って「これ、やっぱ超美味しいよなあ」と思うたび無闇にその小説を好きになってくるのでありました。

 

しかしまあ、隣のベンチでソフトクリーム食べてる人に向かっていきなり「この光景、めっちゃ『魔の山』っぽいですよね?」とか話しかけたら確実にドン引きされるのはわかるので、黙して語らずやってきているわけですが、冷たいものががめきめき美味しくなってくるこの季節「そもそもあの小説はいったい何の話だったのか」というのをNHKで講義してもらえる機会がやっと巡ってきたのは大変ありがたいことと思うのでした。明らかにソフトクリームが一切関係なくとも。

 

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『猿の惑星/キングダム』~猿に翼

猿の惑星/キングダム』観てきましたよ。

猿かっこいい。


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基本的にはひたすら猿のかっこよさを愛でつつ「ろくなことにならないからしっかり人類滅ぼしておいたほうがいいよ」とハラハラする2時間半でした。

猿の惑星も新シリーズになってから毎回猿がかっこよくなっていくことにCG表現の進歩を噛みしめるわけでありますが、そんな映画の中身は人間の文明が縮小してどんどん知性が狭まっていくストーリーなのが皮肉で、帰り道「はっ、これも文明だったのかっ!」ってなります。

 

猿の表現に全力を注ぐあまりなのかどうか、野生化した人間の表現がオリジナルシリーズの頃の表象とほぼ変わってなかったのはさすがに笑ってしまったところです。もうちょっとそこは工夫してもよかったのではないか。猿のこと考えているほうがずっと楽しいのはよくわかるけども。落差が目立つからさ。

 

あと、見た目がかっこいいので別は文句はないのですが、猿が馬に乗ることにメリットがあるのかどうかがあんまりよくわからないところもいいですね。家畜を買うと膨大な量の穀物栽培をしなければならなかったりして苦労ばかり増えるんじゃないのだろうか。 などと『サピエンス全史』のことを思い出したりしつつ楽しく観ました。

 

 

ホモ・サピエンスが単独でこんなに偉そうにしている世界ではない世界線って十分にあり得たわけで、やっぱり「エイプ頑張れ」と思いながら観ますよね。

 

 

『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』 ~汚言について回想する

今読んでいる大変おもしろい本。

まったく覚えられない安っぽいタイトルはどうなんだって話はさておき。近頃の新刊は「斎藤幸平氏絶賛」の帯が付きすぎなんじゃないかって話もさておき。中身は大変に面白い。

 

父と幼い息子が哲学対話をするのだから当然スリリングになるのだけど、中でもしみじみと感心したのは、悪態は「すべての子どもに必要なスキル」である、として、幼い我が子と悪態つく練習をしてみたりする章である。

その幼少期、私も欲しかったのだ。

 

読みながら思い出していたのは、自分が子どもの頃、母に言われたこんなセリフだ。

「痴漢にあったら恥ずかしがってないで大きい声で『やめてください』って言いなさいよ」

今となっては、それを言った母も、言われていた自分もずいぶん気の毒な存在に思える。なんだって他者の人格を勝手に使って良い公共物みたいに扱う輩に向かって「やめてください」なんぞと丁寧に依頼しなくてはならんと思うのか。

何をどう考えても相手がこちらを一人格として扱ってきてない以上、そういう場面で使用可能な言葉は「てめえぶっ殺すぞ」くらいしかありえないところなのだが、普通に「女らしく」育てられてしまった私や母では、そういうボキャブラリーは逆さに振っても一滴も出てくることはなかったのだ。

使用可能な言語の中でもっとも強い言葉が「やめてください」だったというのは、この社会をサバイブしていく上で本当に切ないことだ。明らかにお願いとかしてる場合じゃないだろ。ぶっ殺すぞ。

 

仮に頭の中に「そういう言葉があるらしい」という知識があったとしても、人生の中で一度も使ったことのない言葉が、危険かもしれない変質者と突然対峙させられたときにスムーズに口から出てくることはまず絶対にない。

おかげで、私は常に痴漢にはやられっぱなしだし、母だってたぶん「やめてください」ですら言えたことなかったろうと私は思っている。決定的に、誰かを拒絶する経験値が不足しているのだ。

たとえ自分がモノとして扱われていても、丁寧に相手の理性に訴えかけて自主的にやめてくれるように依頼するしか対抗の方法はないという言語コードは信じがたいほど自己肯定感を低くする。

 

で、ここから急に根拠の薄いいささか危うい思い込みについて滔々と話をはじめようと思う。マジやべえ。

思うに、母はちょっと汚言症気味だった。当然私は汚言症なんて言葉すら知らなかったので、単に下品な人なのだと感じて大変不快だった。

それが自分も大人になってくるにつれ、ストレス状況下で勝手に汚言が口をついて出てくる症状がちらほら出始めたときに「母のあれってわざとじゃなかったんだ!」と気づくことになる。

母娘二代、汚言症傾向(ふたりとも決定的に社会生活を破綻させるレベルの症状は出てなかったので診断受けたりしたことはないものの、ちょっとネットで調べたりしても心当たりありすぎるくらいの印象ではある)

 

まったく専門知識に基づかない印象論を垂れ流すのは気がひけるところなんだけど、でもやっぱり実感としては

「我々母娘はもうちょっとカジュアルに汚い言葉でストレス発散する習慣を持っていた良かったのではないか」

ということは思わざるを得ないのだ。

使用可能とされた言葉と、我々を取り巻く世界との乖離を思うにつけ、この社会で生きるにはもっとちゃんと発見しておくべき感情があったのだ。感情は言葉によって発見されるし、押し込められたものは感情でも言葉でもコントロールが難しくなる。

 

もう、今となっては「てめえぶっ殺すぞ」を習得するのはすごく荷が重いのだけど、汚い言葉っていいもんだな、と思い始めた最近ではお気に入りの罵倒語がちゃんとある。

Netflix版『三体』のエピソード5で初めて三体世界を見せられた地球防衛イケオジが咄嗟に”Jesus fuck!”と叫んだ場面である。

言いっぷりといいタイミングといい、本当に素晴らしい悪罵だったので「これなら今から習得可能ではないか」という気になった。

Netflix版『三体』エピソード5 地球防衛イケオジ

何事も習得に年齢制限はないだろうということで、なんらかの音声チックが出たタイミングでいちいち「……おっと。ジーザスファック!」と言い直すトレーニングを初めてみた(私は何事も真面目なのだ)

口に出してみるとファックっていう音の響きは腔内で何かを蹴飛ばしてるような切れの良さがあって広く普及したのも納得の機能的な汚言と言える。

結構楽しいし、すっきりもする。5月の青空の下で言うとさらに爽快だ。

 

ちなみに件の哲学書の中には「サノバマザーファッキンビッチ」というサンプルも入っているが、こちらはちょっと長いので悪罵入門としては手軽ではないと判断した。最初は覚えやすいところからはじめないとね。

 

 

今週のお題「名作」

『その「おこわわり」、おれにもくれよ!!』~感染性おこだわりの危険及び緑茶のりちー

先月の末くらいから「寝る前に清野とおるを読む」という癖がついてしまい、すっかりやめられない。

『東京怪奇酒』『東京北区赤羽』と読んできて、今『おこだわり』にさしかかったところである。

 

読んでいてこちらもその気になってきたので、「おこだわり」っぽい話をここらで無理にしておきたい。

 

誰も特に興味がないと思うが私は大変にチーズが好きなので、「なんかこう、スナックっぽいものを一口つまみたいな」という時用にスライスチーズを冷凍庫に常備してある。

いつかの昼下がりなどにおもむろにそれを冷凍庫から出しオーブンシートに並べてレンジで加熱、カリカリチーズせんべいにして食べるためだ。

私は酒を飲まないので、これで緑茶を飲む。

水分を飛ばしたスライスチーズは油分も塩分も多めなため、たいそう緑茶が捗る。

 

一方で「そうは言っても酒飲みならぬ身にこれはちょっと味が強すぎるよな」という気がしていたのも事実である。

これはなにかもうひと工夫の余地があるのではないか、とぼんやり思っていたところ、清野とおるを読んでいるうちに何かおかしな宇宙的回路と味覚が接続し、突然正解が出たのである。

 

海苔だった。

のりちー


まず海苔を四枚切りにし、スライスチーズを一枚ずつ載せてからのチンである。

チンはチーズ1枚あたり30秒だと少なすぎ1分だと多すぎるから、その値の中のどこかだ。

チーズの塩分油分が海苔によって減少するわけではないが、舌にふれるときに海苔の香りがまずワンバウンドすることで格段に優しさに包まれ一段階進化を遂げる。

 

ちなみにこれのお供となる「がぶ飲み緑茶」にもやり方がある。

象印マホービンの360mとそこらで売ってるティーバックのお茶である。

一人暮らしにも手軽で美味いでおなじみの緑茶ティーバッグであるが、うっかりマグカップなどでドボドボ淹れてしまうとやっぱり香りが薄かったりする。

家で飲むときでも360m魔法瓶でいれると、ティーバックたった一個で3杯くらい濃厚な緑茶が飲め、おまけに半日くらいかけてゆっくり飲んでも冷めない。

マホービンから直飲みするとほとんど香りもわからないうえに舌をやけどして危険なので、カップなどに1杯分ずつ注ぎながら飲むのが正しい作法である。

象印マホービンでなければならぬ理由は、今のところこれが最もパーツの分解洗浄が単純でお茶の匂いが移りにくいせいである。緑茶の匂いは一度うつってしまうと結構取りにくい。その点、現時点は象印が私が把握している中で最高峰の緑茶ガブガブ器なのだ。

 

 

東京都北区赤羽』はKindle Unlimitedで全8巻読めてしまうので出来心で読み始めると危険。

 

今週のお題「名作」

コーヒースカッシュ日和来る

素晴らしい陽気の連休土曜日、こんな日には風に乗ってもっと遠くへ行きたくなるな、と思いながら池の端を歩いていると、本当に風に乗った桜の花びらが次々どこかへ行くところだ。

冬を耐え忍んだ北国の面々は、散りゆく桜の下で貸しボートに乗って何か外国語の歌を歌ったり、しきりに春模様の写真を撮ったりして総じて陽気である。

たいそう賑わっている公園の駐車場の片隅では、少年が何事か真剣に警備員さんに告げ、やや耳の遠いらしい警備員さんが近隣に朗々と響き渡る声を張り上げて迷子放送を依頼する無線をしているところだ。付近を歩く犬の散歩の人やら、野球の練習に来た人やら家族連れのグループなどはみんな心配顔で各々の手を止め足を止めてその声を耳をすませ目を吸い寄せられている中、六歳のケンタ君はじっとこらえて凛々しく振る舞っている。

私も誰からともなくハラハラがうつり、行く道で両親らしき人をみつけたら「あっちの駐車場で元気に待ってましたよ」と教えてあげようと、心持ちきょろきょろしながら園内を歩く。

まったくもって、良い陽気である。

 

お気に入りのウオータードリップで淹れたコーヒーを、寒い時期にはレンジで一杯ずつ温めながら飲んでいたものを、今時期は炭酸割りでうまいことに気付いた。

アイスコーヒーというものが、好きなわりにはそれほど体質に合わずに実はあまり飲めない。外で頼むと出てくる、濃く抽出して氷が浮かべたアイスコーヒーは、せっかく「美味い」と思うのに飲みきれなかったりすることもある。

残念なことにカフェインの刺激と、氷で冷やした温度の刺激と、両方いっぺんに来られると胃の機能的にキャパオーバーらしい。

そうは言ってもこんな陽気に外から帰ってきたあとなどは、キュッと香りの良いコーヒーで体を冷やしたいという願望黙しがたく、試みにいつものコーヒーを炭酸水と同量で割ってみる。

氷もいれず、かき混ぜもせず、甘みもつけずに、そのまま。

ちょうどよいがぶ飲み具合と、ちょうど良いコーヒーの香りと、ちょうど良いカフェインの決まり具合で、これがちょっと他に見当たらないくらい全方位的に我が胃袋にちょうど良い。

世間一般のコーヒースカッシュといえば甘みやら香りやら色々ついてしまいがちで、すっきり飲めるものはあまり見かけないようだが、どっこいやって見ると大変美味しい。

もともとコールドブリューは比較的軽めに抽出されるところを、さらに炭酸で半分に割るともなれば「そんなことなら麦茶でも飲め」と叱られそうな気がしなくもないが、アイスコーヒーは好きだけど体質的にあんまり飲めない勢にとってこれはなかなかの救世主発見、と思うところである。

まったくもって、良い陽気。

 

 

 

2020年購入なので夏も冬も使い続けて今年で4年目。スッキリ目の美味しいコーヒーがいつでも飲める神グッズ。しかも安い。