晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

新年の世界にサブスク

 吹雪を避けて地下街の長い通路を歩いていたらUNHCRがブースを出していた。

 

 近頃あちこちでよく見かけるようになった水色のブースなのだけど、今はどこも現金募金を行っていないようなので、結局振り込み案内のパンフレットだけ貰って帰ったりすることになる。

 それでもわざわざ若い女性が私をめがけて極めて低姿勢で声をかけてくるとあれば、今UNHCRの声を聞かずに通り過ぎることも、時勢柄しにくい。

 年明けから、おおっぴらに国際法がないことになりつつある世界の片隅をぼんやりほっつき歩いていて、難民支援活動の一端を担う人が声をかけてくれるとあらば、それはやっぱり意味のある呼びかけとして目に映る。

 

 私にできることがさほどあるとも思えないけれど、関心をもつだけでも意味があると考えてくれるのであれば、と足を止めてみる。「どうして現金の募金箱は置かないんですか」ということだけちょっと質問してもいいかな、と思ったのだ。

 こちらが申し訳ないくらい低姿勢で、「防犯上の理由などで今現金の募金箱をおくのは難しい」と答えて、そして「毎月の寄付をしてもらえれば見通しのある活動計画が立てられる」と説明された。

パンフレットだけ受け取って行こうとするとその人は、ここで私を逃せば「眼の前の命がひとつ減る」くらいの必死さで説明を続ける。どの国からの支援も減っていて今は必要な金額の半分にも足りていないのだ、と話すその人の一生懸命さと、ほぼ断れないトークの有能さを見ていると、「そうか、タイミングだったんだな」という気がしてきた。

 

 「ずっと気にはしてるんです」なんて我ながらよく言うし、本人の意識としてはそれは全然嘘じゃないのだが、彼女の言うとおり、「家でやる」などと言って資料だけ貰って帰ってしまえば、結局それは先延ばしにされて、実際今にいたるまで寄付の手続きはしていないのだ。エンタメのサブスクの加入手続きをうっかりすることはあっても、さほど値段の変わらないNGOへの寄付をうっかりする日は来ない。

 

 「すいませんけど、最低金額でいいですか」と情けないことを言って、その場でようやっと登録した私にも、申し訳ないことにUNHCRサポーターの水色のリストバンドをくれた。これはいい。2026年の良い希望になる。

 「もうちょっと色々落ち着いたらきっと金額を増やそう」と登録の時点では思ったけども、それが実行されるかどうかはこれまでの己の来し方を振り返っても甚だあやしい。

 私がその程度の人間だとしても、である。それでも社会には良心があって、人間は基本的には助け合うもんだと、いくばくかでも信じられる社会で今年も生きていきたいとあれば、寒い地下通路で一生懸命に声をかけてもらって、本当にありがたかったな、としみじみ思うんである。

 

https://www.japanforunhcr.org/

 

 

 

冷凍ご飯の革命だった

 

 年末に買って超絶役立ってるものにマーナの冷凍ごはん容器がある。

 

 ぴったり一膳分詰めると180グラム、解凍はレンジで3分半ということでわかりやすく、ラップにくるんで量がバラバラになってしまうより扱いがシンプル、画期的にムラがなくあたたまるうえに、そのまま食卓にのせても大丈夫なデザインだし、冷凍庫でも無駄な場所を取らずに重ねておける。

 「廉価版もたくさん出ている中で、こっちにすべきか、安い方でいいのか」

というのはしばし迷ったのだけど、結局このマーナの容器を11個買った。いっぺんに4合炊いたらちょうど10個の冷凍御飯ができる。便利だし、味もおちないので、もはや「炊きたてご飯」という概念を捨て、「食べきったら、すぐ4合炊いて全部冷凍」というルーティンでやるようになり、快適である。

 ラップで冷凍していたときは、途中でいったん取り出して、軽く水を振ってほぐしてもう一度ラップをして温める、などの手間をかけていたが、それもしなくてよくなった。

 

 ところで、新年早々風邪。

 熱は37度前後をうろうろしている程度だが、鼻やら喉やらの調子がよろしくないし、一応熱はあるので特に起き抜けは水分多めで消化のよいものが食べたくなる。

 冷凍庫から御飯を一個出して小鍋にいれて水を足して、あとはガスコンロの「おかゆ」のボタンを押しておけば、適当にお粥にしてくれる、というシステムが最強のコンボだった。

 体調がそれほどよくないときに食べるお粥の滋味の凄さってのは、本当に染み渡る感じがある。

 窓の外の吹雪をみながら「うまいし、一口ごとに元気が出るっ!」と感動していたら、偶然にも七草がゆであることを思い出した。

 

 実際、37度くらいのことで家で堂々とゴロゴロする胆力のある大人がほぼ居ないのも困ったもんである。本人が元気ならいざ知らず、鼻やら喉やら各方面に「とりあえず外から侵入してきたなんらかのウィルスと闘っている状態である」という症状が出てるんであれば、安静にしてそちらに体力のリソースを割いたほうが絶対に”早く済む”のが理屈だろう、と思うのであるが、自分のこととなると、どうにもそう考えて安穏としているのが難しい。働いて、働いて、働いて、働いて、働いて、じっと手を見てなければ誰かに後ろ指を指されるんじゃないか、と思っている節がどうもある。

 まだ松の内なんだから、家で正月の続きの本を読んでればいいんだけどなあ、とつまらん強迫観念を反省しつつマイボトルに熱い紅茶を詰める七草。帰ったらお粥。

 

 

今週のお題「馬」

『ワーキングマン』~正月に発動する筋肉装置

年始早々、風邪気味です。どういうわけか、近年は風邪っぽくなると目が充血するようになってきて、栄養不足の外猫みたいな面構えになるようにになってきた。どういう仕組みなんでしょうか。

 軽い風邪ならジェイソン・ステイサムで治るだろうということで、葛根湯飲んで『ワーキングマン』を観てきました。

 


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よくしてくれた上司の娘が誘拐された。誘拐されたルートをたどっていくと麻薬密売と人身売買をしているろくでもないロシアンマフィアだったので、乗りこんで次々シバく。というようなストーリーでした。

 

昨年の正月映画『ビーキーパー』とおなじく、ステイサムが真顔で冗談みたいな悪役をひどい目に遭わせる映画です。

 『ビーキーパー』に比べると多少映画っぽくなっていたのは、今回は少なくても人質は居るんですよね。あと、娘がいるのだけど養育権を義父(娘の祖父)が持っていて、その義父はステイサムの暴力性を理由に娘から遠ざけようと弁護士を立てて画策しているんです。一応、セットアップとしては「オレはもう暴力は封印したんだ」みたいな葛藤があることになっている。

 多少はステイサムのバイオレンスに足枷をつけようとする方向性は探っているんですが、ただ映ってるのがやる気満々で厳つい顔のステイサムですから、観てる側は「どうなっちゃうのかしら、ハラハラ」みたいなことは一切なくて、そういう脚本上のフリまでふくめて、まあ、ギャグである、という。

 

 だいたい、ロシア人の雑魚マフィア兄弟が鯉のぼりみたいなスーツを揃いで着てるんです。「オーダーメードなんだ」とか言って毎日着ている。さすがにそのギャグ度はステイサムの顔と合ってないだろ、と思うんですが、あれを押し切れるところが強さというものですかしらね。

 

 社会システムの中で取りこぼされているところに公平性をもたらしてくれる正義の暴力というものが「あったらいいなあ」という願望は、普遍的なもので、そこにたいするステイサムのしっくりハマり具合は、なかなかの爽快さです。

 スタローンって自分が看板の映画のときは、油断すると自分探しに嵌まり込んで筋肉を観たかった人を混乱させたりしますが、脚本家としての参加だと何の屈託もなく「単なる発動装置」としてステイサムを扱うのも、面白い。