晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

『嵐が丘』~いいえ、悪意はありました

昨年末から楽しみにしていた『嵐が丘』観てきました。

予告を観た段階では「ただ暗いだけの嵐が丘になっていたらどうしよう」という不安も大いによぎっていたのですが、素晴らしかったです。

こんなに毒の行き届いた嵐が丘が観られるとは。


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一番感動した場面を言ってしまうと

「いいえ。悪意はありました」

のところです。そこか。そこを汲んだのかっ。

 

『嵐が丘』って荒野の中のふたつの家系を舞台におこった壮絶愛憎劇を、家政婦のネリーさんが旅人に語る、という手法の小説です。

このネリーさんが、話がべらぼうにうまくて、サービス精神旺盛なせいで、「ここ見せ場だな」っていうところをガンガン盛ってしゃべっちゃうため、どこまで信じていいのかさっぱり分からない、というところが面白い小説です。

嵐が丘最大の功労者、家政婦のネリーさん

 そのうえ、ネリーさんにとっては舞台は”職場”ですから、当然職場が潰れないように策略を巡らしたり、雇用主が頼りなければ乗り換えることも考えるし、長年顔つき合わせていれば嫌気さして致命的な意地悪もする。

 ということで「ちゃんと人として悪意のある」ところが素晴らしい人です。小説だとエミリ・ブロンテ最大の仕掛けであるこの生き生きした語り手ネリーさんを、映画の表現でどう扱うか。

 

 まず刮目するのは、ネリーさんの語りの誇張癖を、ちゃんと随所に入れてあったところです。

 とりわけ大爆笑なのは、主人公キャシーの酒乱の父(小説では兄ですが、今回は兄と父が合体してひとつのキャラクターになっている)が、亡くなった場面。部屋の真ん中にバッタリ遺体が倒れてるうしろに酒の空き瓶が山と積まれている、しかも微妙に几帳面な感じでピラミッド状に。

 シリアスな場面で、変におかしみのある誇張を入れてきて笑わせにかかるのって、本当に、原作の(ネリーさんの)癖でもあります。おまけに遺体を蹴っ飛ばしたりする不謹慎さもちょい足し。

これこそがネリーさんのブラック誇張癖だっ

 悪意は、あるんです。ネリーさんに悪意はあるんですっ!

それがあんなふうに美しい画面の中にちくちくと縦横に編み込まれていようとは、大変に感動しました。

 

 あと、とにかく特筆しておかねばならないのは、たいへんにエロティックな映画であったこと。

冒頭のシーンからまず、画面が暗い中でギシギシ鳴る音と男性のうめき声が聞こえるので「・・・・・・いきなり濡れ場?」と思うわけですが、画面が明るくなると、絞首刑で縄が揺れる音だとわかる。

 絶命に時間のかかっている囚人をみて観衆の子どもが「勃起している」と笑います。暴力や破壊と性やエンタメの近さがいきなり示され、とんでもない映画を見せられることを高らかに宣言される、油断も隙もないオープニングです。要注意映画が来ますよ。

 

 ところで、小説と映画を比べていくと、どうしても毎回気になるのは年齢です。

 キャシーが隣の小金持ちアーンショウ家の暮らしぶりを初めて盗み見るのは、13歳くらいの頃。

 「金持ちすごーい」なんてウキウキのぞき見してたら犬をけしかけられて負傷したため、屋敷で数週間静養し、帰ってきたら大好きなヒースクリフに向かって急に「汚い」とか「臭い」とか言うようになるのがそもそもの始まりです。

 

 ここのくだりは読んでると、どう考えても初潮の表現であるように私には思えるんです。

 ところが映画にするとなると、ここから大人の役者さんが演じることになるため、思春期の困惑どころか、金色夜叉ばりに”ダイヤモンドに目がくらんだ欲得ずくの女”みたいな表現になりがちなのは、ほんとうにキャシーに不公平なところだと、私は歯がみをするのです。

「あんた今何歳なんだ」問題は、大変に悩ましい

 今回も、金持ちのぞきのシーンはマーゴット・ロビーが演じてるので「あんたいったい、今いくつなんだ」というモヤモヤが残りはするんですが、すごいのは、その後。

 その金持ちの家に嫁いでいったあとのマーゴット・ロビーの部屋です。明らかに不自然な、肌の色と血の色に敷き詰められた過剰に豪華な部屋に暮らし、その部屋で、出産がもとで亡くなっていきます。観てるとすごく”子宮に幽閉された主人公”という印象がして、まあとにかくそこにいるだけで壮絶。

 

 エミリ・ブロンテがメロドラマに包んでどれだけの毒と、語られる機会の少ないマイノリティのリアリズムを隠したのか、ということがふんだんに盛り込まれていて、超おもしろい映画化でした。

 

 

原作読むなら家政婦ネリーさんの毒と魅力を大いに汲んだ鴻巣友季子さんの翻訳が素晴らしい。

 

嵐が丘(字幕版)

嵐が丘(字幕版)

  • ローレンス・オリヴィエ
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”金色夜叉感”が否めなかったローレンス・オリビエの『嵐が丘』。ローレンス・オリヴィエが熱烈な愛を捧げる、という絵面がとにかく大切な時代だったのが伺えます。

 

嵐が丘 (字幕版)

嵐が丘 (字幕版)

  • ジャネット・マクティア
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レイフ・ファインズとジュリエット・ビノシュの嵐が丘は、原作通り二世代に渡って語ったのは、野心的だなあと思います。でもやっぱり映画は時間軸長くなるほど難しいですね。なぜ二世代必要だったのか、ということがうまく伝わっているかどうかという点では、ちょっと謎は残る。

 

 

2026年正月に見た映画、読んだ本

新年明けましておめでとうございます。

年末にChatGPTにうちの猫で年始画像を作るように頼みましたら、一発で一応それっぽいものを出してきたのですが、興味深かったのは干支が「辰」になっていたことです。

「なるほど、今学習すると2年前くらいのデータをあさってくるのだな」

というのがタイムリーに分かって、参考になりました。

あとからシバきなおして干支だけ「馬」に変えてもらったのですが、猫に「馬」って書いてあるのが、それはそれで微妙にツボだった新年でした。

 

 

年末年始にいろいろした記録。

 

晦日に摂取したエンタメ

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晦日は例年なんとなく紅白歌合戦を観るんですが、今年はNHKオンラインのサイトがなくなっていたので、なんだかよくわかりませんが観られませんでした。

 というわけで、大晦日レコード大賞を観るという独りタイムスリップを繰り広げておりましたが、それはそれで楽しかったです。

 ジャニーズがなくなったことで男子アイドルグループの幅がぐっと広がったのは顕著に面白かったと思います。相変わらず知ってる曲はほぼ皆無でしたが、そういうことではないんだよっ!

 

  • IMMACULATE 聖なる胎動

2025年に劇場で見そびれてしまった映画をUNEXTで視聴。超面白い。

 思い起こせば近年の出産映画の多さですよ。2025年は『ファンタスティック4 ファースト・ステップ』『アバター ファイヤー・アンド・アッシュ』がありましたし、2024年秋には『エイリアン:ロムルス

 女性が出産前後でキャリアを中断されない社会を目指す潮流にのってド根性妊婦をスクリーンで観る機会って本当に増えたなあ、と感じます。

 その流れの中でも、特筆すべきド根性妊婦のひとりが本作の修道女セシリアでした。 修道院で暮らしはじめたセシリアちゃんは、ある日妊娠が発覚するんです。

「いや、私戒律守ってるし処女だからあり得ないです」

「いやいや、身ごもったのはキリストだから大丈夫だよ。はっはっはっ」なんつって。はっはっはっじゃねえだろ、っていうホラー映画。

 非常に映像が美しく、BGMが珍妙で、ゴア描写も悪趣味で、最高の一本でした。ラストシーンのガッツに刮目せよ。

 

  • 『M3GAN/ミーガン 2.0』
M3GAN/ミーガン 2.0

M3GAN/ミーガン 2.0

  • アリソン・ウィリアムズ
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相当に苦労の跡が見える映画でした。前作のヒットを受けての続篇で、要するに話は『ターミネーター2』なんです。

親子がいて、子どもを守るロボが居て、そこに子どもを狙う最強ロボが襲ってくる。というターミネーター構造にできれば何も問題なかったんです。

 ところが 『ターミネーター』のジョン・コナー君は未来で世界を救う存在なので存在してるだけで執ように狙われる理由になってるんですが、『ミーガン』に出てくるケイティちゃんは、ふつうの子というところがどうしても設定上弱いのですよね。

 兵器ロボに追い回されるには、後付けの設定が必要になってしまうんですが、世界を乗っ取れるレベルに強化された兵器ロボがふつうの子どもをわざわざ追いかけ回す理由って、まあちょっとむずかしい。

 結果的に、「後半の推進力のためだけに子どもを攫ってみた」みたいなストーリーになってしまい、今ひとつキャラクターたちの動機付けがわからないまま、ただ呆然と画面を眺める、という次第。

 とはいえ、悪くないところも色々ありましたから、「うーむ、なぜこうなった?」と考えるには興味深い作品ではありました。ところどころに合成AIぽい画面が散見されたのも2025年ぽくて面白かったです。

 

元旦に摂取したエンタメ

  • カルタ取り

元旦は例年通り、よみあげ機を使って百人一首をひとりで取る、という遊びからのスタートです。ひとりでやる、って言うとだいたい冗談だと思われるんですが、むしろすごい面白いのにどうしてみんなやらないのだろうか?

またこのよみあげ機、というシステムがすばらしくてですね。現代ではまず文字情報として認識されがちな歌を”本来は声を出して読み上げられるべきものである”というところに立ち返れるのが本当にいいと思うんです。

「あしひきのー、やまどりのおのー、しだりおのー、ながながしよをー」とか言われると「ほんとに、無駄になげえよ」と思って笑っちゃう。

 

  • 『をとめよ素晴らしき人生を得よ 女性短歌のレジスタンス』

ということで、正月くらいは短歌とか読みたいな、とチョイスした一冊。本当に、素晴らしい内容でした。ジャッジする側に男性しかいないということで小さく小さく扱われてきた女性歌人たちが、それでも書いて書いて書き残しつづけた大事な歴史を、今やっとまとめて読むことができるというのは本当に感動的なことです。

 

もとの身は雨乞いシャーマン・アマテラス死して慈雨ありぬ やるやおまへんか

『松蟲』穂積生萩

昭和天皇崩御って私も小学生だったので記憶はあるのですが、もとが雨乞いシャーマンだったから慈雨、という視点は全然思いつきもしなかった、あの頃の、陰に熱狂していた空気感を思い起こしたのでした。なんという気迫。

 

 

2022年のオーストラリアのホラー映画。若者の撮り方がやたらうまい秀作でした。面白い作品だったんですが、今年の正月はできの良い映画を観まくったので、ちょっとかすんでしまった。

 

  • 侵蝕
侵蝕

侵蝕

  • クォン・ユリ
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これも2025年に劇場で見逃した韓国ノワールです。母娘ホラーものだから、私の関心領域としては観に行かねばならぬ一本だったんですが、こういう作品って公開館数も多くないので、見逃しがちなんですよね。 

 最初のワンカットから引き込まれる抜群の不穏さ、美しさ、配色、大人から子どもまで全ての役者の名演技。

 息を止めるようにして観ていましたら、これがびっくりしたことに、そこまで人を引き込んでおいて、途中で話が変わるんです。

「あっ、でもあれがそうして、ああなったのか。なるほどお」

なんて思って、また改めて息を止めてじーっと見つめると、最初は不気味な話だと思ってたものが、実は哀しい話でね。

「なんて綿密に積み上げられた心理描写であろうか」としみじみ観たら、最後であんまりびっくりしたんで声が出ました。

まさか叙述トリック系だとは最後の瞬間まで予想もしなかった!

 「なぜこんなに面白い映画が撮れるんだ」と気持ちよく頭をひねった元旦でした。すごい映画。

 

正月二日に摂取したエンタメまとめ

  • 『肉は美し』

「にくはうまし」と読みます。スパニッシュのカニバリズムSFなんですが、これがまた仰天のおもしろさ、そして読みやすさ。

 畜産動物にウィルスが蔓延したというので食糧危機により、たんぱく源として人肉を食べることになる世界です。どうやって「人間を食べる」ということに対する抵抗感を減らしていくか、と言えばそれはやっぱり言葉によって行われるんですね。

まず「これらはこれこれの原因によって人間ではない」ということを言葉を使い分けることによって最初は厳格に行い、だんだんみんなが慣れてしまえば、あとはまあ、わりと抵抗なくなるよ、という話です。

 人間って結局言葉によってしか世界を把握できないんだから、あんまりむやみに自分の良心とか、信じるもんでもないですよね(むやみに諦めるもんでもないけども)

ものすごく面白いので、普段SF読み慣れない人にもお勧めです。

 

正月三日に摂取したエンタメ

 

正月三日は、「でかい本屋さんに行く」ということをここ最近の習慣にしています。

書店は物理で確認できるのが圧倒的に良いですね。『薔薇の名前』の完全版が平積みで出ていることに気付いたのは大きな収穫でした。

「完全版が出たということはもしかしてっ!」と思って店先ででアマゾン検索したら、案の定。やっと電子書籍版も出版されていたのでその場でKindle本を買ったりしてました。本屋さん、本当にごめんなさい。

かわりと言ってはなんですが、電子では出版されていないボーヴォワールとか買いました。今年も「女の権利」とか言って嫌われる人として生きていこうと思う。

 

  • 『ザ・モンキー』

これは2025年劇場へ観に行ったホラー映画なんですが、好きなのでこの機会にもう一回観ました。

 子どものころに身内に不幸が多かったので、サルのおもちゃに呪われてると思い込んじゃった少年の話。巧みなホラー映画の型に包んで、監督の非常に個人的な話をぐいぐいしてくる感じが、好きなんですよね。ホラー映画として抜群の出来だし、ちゃんと悪趣味だし、やっぱりいい映画だと思います。

 

  • 『KPOPガールズ! デーモン・ハンターズ』

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2025年Netflixで異例の大ヒットをしたという韓国アニメですが、日本ではそれほどの話題にはならなかった印象でした。

観ると、実際よくできており、わかりやすく、曲も素晴らしかったです。

話は『アナ雪』で、エルザが「Let it go~」って歌ってた例のところで 「like I'm born to be~ 」って歌っておったので「おお、そのまんまや」って思いました。

 アナ雪の他にロミオとジュリエットも入っており、ロマンスとして観てもとっても楽しく、話も分かりやすくなっていた印象。それでいて異性愛中心主義にもっていくわけではないというバランス感覚とか、シスターフット要素が後景化しない話の組み方とか、しみじみ「うまいなー」って思いました。面白い。

 

  • 『春にして君を離れ』

いつか読もうと思ってKindleの中に「積ん読」してたアガサ・クリスティをこの機会に読みました。正月に読むにはなんとも良い作品。

 自分は大変なしっかりもので、独りで家庭を切り盛りし、子どもを三人育てあげ、夫が弁護士事務所を大きくするのを陰で支えた、と自負を持つ40代の主婦の話。

 あるとき遠方に住む娘が病気だというので、「私が行ってあげなくてはっ!」と発奮、はじめて家庭を離れて一人旅をします。普段とは違う環境で、普段は会わないタイプの人達と出会うことで

「ちょっと待てよ、今まで自分ひとりが全部物事を分かって、自分ひとりのおかげで家庭がうまく行った、と思ってたのって本当なのか?」

という疑問が頭をもたげる、という話。

 この話の苦いところは、せっかく首をもたげた疑問が、家庭に帰ったときに「やっぱり私の思いすごしだった」というふうに結局なかったことになってしまうことです。

 後味が非常にざらざらした、とっても面白い作品でした。

 

 

まとめ

そんなわけで、ちゃんと人にあったり散歩したり、本屋行ったり、いろいろやりながら、ほぼ毎日映画を2本観て本を1冊読めてたので、正月ってやっぱりすごいですね。人間、リラックスすると情報って結構たくさん入れられるので、「正月はサボる」という文化は、今後もしみじみ大切にしていきたい。

 

『フランケンシュタイン』~魂の伴侶がミア・ゴスという驚愕

ギレルモ・デル・トロの新作『フランケンシュタイン』観てきました。

Netflixの配信前に劇場で先行公開しているものです。最近このタイプの公開方式が多いですが、予算も潤沢で企画があまり迷走せずにしっかり制作されたものを観せてくれるので本当にありがたいことです。


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お話は、北極を目指す野心的冒険家が氷に閉ざされて立ち往生しているところで、何者かに追われている学者風の男を見かける。瀕死の男を救出したところ、フランケンシュタインと名乗る科学者は「生命を創造した」という驚くべき話を語り始める。

……というような話で、原作に相当に忠実でした。

 

いい話だなあ、と思って家に帰って原作を読み直したりしましたが、何度読んでも本当にいいですね。クリーチャーがたどる心の旅は大変に切ないながら、新鮮な眼差しこの世を知っていく過程の喜びの描写が素晴らしい。

自らの探究心に責任を持てなかった男であるフランケンシュタインも、北極の果てまで全生命を賭して逃げるという形で自らの所業と強制的に向き合う羽目になるわけで、こんなに見事な内的葛藤のエピソード化ってなかなかないですね。メアリー・シェリー19歳恐ろしや。

 

そして、この途方もなく孤独なクリーチャーを愛し、またその後様々なホラー映画の中で”粗野のアイコン”としてウガウガ君になってしまったクリーチャーのことも愛しているのであろうデル・トロの映像のおもちゃ箱の世界、たまらないです。

ここまで美しいフランケンシュタインを観せてくれたからには特に言うことはない


また、フランケンシュタインのフィアンセのエリザベスと、クリーチャーが求めた”自分と同形の伴侶”を同一人物にするという映画的整理が大変巧みだった上に、その人物が、ホラー界のアイドル、ミア・ゴスなのもたまらないです。

ミア・ゴスがミア・ゴス顔のままで出てくる

「ゴシックっぽいなよっとした無垢の美女に変身」などは一切することなく、いつもどおり眉毛もほとんどない無愛想な顔でやけに背も高く、死と異形の生命に強く惹かれるマドンナです。最高。

 

などなど、原作にかなり近づけて作られていることは相当に嬉しかったものの、小説の語りの構造をそのままやると、映画では長く感じるというのもまた避けがたいのだな、というのも実感しました。

 

原作小説では少しずつ読者を異常な世界に引き込むべく、まずは野心に溢れたよくわからない若造の手紙から始まり、その若造がたまたま救出したフランケンシュタインの話に入り、その中でフランケンシュタインの被造物であるクリーチャーの一人称の語りにも入っていく、というかなり手の込んだ入れ子構造をとっています。どれも美しいうえに、すばらしく効果的なので「このまま全部映画で観たい!」とは思うんです。

一方で、映画における「異常な世界への没入の感覚」って、セットとか、役者の芝居とか、出来事とかでいざなっていくものなので、生真面目に”語りの入れ子構造”をやっていくと「面白いけど映画のリズム感としては、ちょっと長いかも?」ともなってしまう。

この辺は、映画と小説の差として非常に興味深いなと思いました。

 

それにしてもいいもの観ました。

 

ボリス・カーロフが有名すぎてこのウガウガ君の名前がフランケンシュタインだと思われがちという問題もあるものの、少女と花の違いがわからずに、親しくなった子を溺死させてしまう稀代の名場面は、原作には存在しない、映画だからできた素晴らしい表現でした。

 


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