晴天の霹靂

びっくりしました

『巨匠とマルガリータ』~すずらんの香り、天変地異

6月である。

たいして鼻の効く方でもないが、道を歩いていると急に甘くていい風に包まれて驚くことがしばしばある。

すずらんだっ!」

と確信してまわりを見渡せば、たしかに足元の低いところに、地味でかわいらしい白い花が群生したりする。

都市人間にあってはまるきり発想の順番が逆なのが花には申し訳ないが、すずらんは本当にミュゲの香水の匂いがする。

いったい誰のためにこんな路肩でこれほど潤沢な芳香を拡散しているのかと考えればついもったいないような気もするが、

「せっかくいい匂いなんだから無駄にぶん巻かないでいざってときのために取っておいたほうがいいのではないか」

などという方向にばかり考えいきがちなのが、生まれつき貨幣経済に思考を縛られている発想の貧困であり、地味さの割に香りの良すぎるすずらんの魔法ってものであるか。

 

時々はすずらんの匂いを思い起こしながら、開け放したベランダを無駄に出たり入ったりする猫に生返事をしながら、近頃読んでいるのは『巨匠とマルガリータ』である。

初夏に読む本というのは不思議と、毎年風景とともに印象が記憶されていくような気がする。

作家と人妻が不倫する話じゃなかったかしら、と思いながら読んでいるのに、どうやら巨匠もマルガリータもなかなか出てこない。

ぱっとしない男性二人組が出てきてしまったので「お前誰」と思いながら読んでいたら迅速に首が飛んで死んでしまったには驚いた。

せっかく名前覚えたんだから簡単に死ぬんじゃない、と困っていたところで、なんだか黒猫が出てきて二本足で歩いて電車に乗ったりするのがかわいいので「じゃあいいか」と思ったもんだが、だからいったい何の話を読まされているのかについてはますますもって不明である。

ぐるぐるぐるぐると、歩けば歩くほど妙なところに連れていかれる。

つまりまあ、初夏の読書は散歩なのだ。

 

巨匠とマルガリータ』でもうひとつ思い出すのは、文筆家の佐藤優氏が対談で東日本大震災について「あの時私はちょうど『巨匠とマルガリータ』を読んでいたところでした」というようなことを言っていたのを読んだことがある。

「さすがにできすぎだろっ」

と、ほとんど声に出して突っ込んだものではあったが、事実であるにせよ、少し盛ってあるにせよ、そういうやけに印象に残ることを要所要所で言える人ってのはこれはまた特殊な才能であってなかなか余人には思いつかないチョイスであると、妙な感心をした。

 

いつ出てくる気だマルガリータ