今さら感のある話題ではありますが、遅ればせながらディズニープラスに加入して『マンダロリアン』を見初めていたのです。
これがまあ面白くてサクサクとシーズン1,2まで見終わりましてね。
要は「気は優しくて力持ち」という非常に古典的なヒーロー像を見ているだけなんですが、古典的な器に新しいものはいくらでも入れることができるんだという感動がありました。
変な鉄仮面被ったまま脱がないのにちゃんと感情の機微が伝わってくる主人公がまた素晴らしいですよね。
顔を隠した腕のたつ賞金稼ぎというので、自分でもちょっとクールキャラでやっていこうやっていこうとしてるんだけど、よく見るとずっこけてる人でもある。
変なところに宇宙船を停めておいたら部品盗まれちゃったりして。
困った挙げ句、近所に住むただの面倒見の良いおじさんのところに「あいつら俺の宇宙船盗んだんだけど」ってチクりに行くなど、油断してると強いんだか弱いんだかわからないところのある人ではないか。
それがヨーダの赤ちゃんみたいなのを拾って行きがかり上面倒見るはめになる突然の子連れ狼。
最初は「まあペットみたいなもんだ」とかカッコつけていたのが、「グローグちゃん」っていう名前を教えてもらった途端に、ドン引きするほど父性ダダ漏れしはじめるではないですか。
「グローグちゃん!あははは。うふふふ」とまでなるところが、たまらないですね。
名前を呼んだら返事してくれるってだけであっさりデレちゃうところなど、初めて子猫を飼いはじめた人とまったく同じ所業。
自身も戦争孤児で、幼少期から戦士としての訓練受けたっていう回想がちょっと入っていますから、仮面の下を思うと実際表情が見える以上に伝わってくるものがあります。
グローグちゃん、たぶん自分より年上なんだけどね。
ただ非力なものを守るためだけに力を使うヒーローというのが、本当に良かったし、困ったときにはちゃんと助けに来てくれる人がいるっていうのが
「そうだそうだ。スターウォーズってこういう世界だった!」
と初期三部作にまで遡って今さら感動したもんですよ。
面白かったし、それほど長くもないので『マンダロリアン』をシーズン2まで見終わって、さて最新シーズンに入ろうとしたら
「いやいや、『マンダロリアン2』のあとは『ボバ・フェット』で、その後が『マンダロリアン3』という順番なんだ」
なんて、ガチ勢に諭されるわけです。
私としては「スターウォーズっていっつもそれだな」と。
「そもそもからして観る順番がわかりにくすぎるし、全部付き合ってきた人にしか理解できない鑑賞ルールを作るんじゃない!こちとらボバ・フェットに格別な興味あるわけではないぞ」
と、まあ不満タラタラで、鑑賞に入るのです。
今二話まで見たところなんですが、これがまた、面白くてね。
こっちもこっちで弱いものを助けるために力を使うヒーローなんですが、いかにも守ってあげたくなる見た目のものを抱っこする人ではなくて、自分を迫害したもの、文化がまったく違う人達と手を取り合うヒーローです。やだかっこいい。
自分で「ダイミョー」とか名乗っちゃうところがまた可愛いんですよね。
そこはショーグンじゃない自覚がちゃんとある中間管理職意識の確かさ、苦労人の感じ、なかなかいいです。
それと、これは『マンダロリアン』にも『ボバ・フェット』にもあるのですが、争いに巻き込まれてしまった名もなき人を手づから荼毘に付すシーンが入ってるのが印象的でした。
戦闘員でありながら死者の尊厳に率先して気を配る人でもあるっていうのは、現代に戦争映画に共感寄せて見るのに大事な描写なんだなあ、と思ったことです。よくできている。