先日『女神の継承』を観てきて大変面白かったんですが、
さっぱり意味がわからんので数日経っても色々悶々考えているわけです。
楽しかったからどっちでもいいけど、しかし神は居たのか居なかったのか。
rokusuke7korobi.hatenablog.com
監督のナ・ホンジンとしては『コクソン』の続編を撮ろうと思って始めたプロジェクトであるというようなことを聞くに及んで
「じゃあ、『コクソン』を見れば何かわかるんじゃないの」
と考えた次第。
もともと非常に面白いという話はだいぶ聴いていて、いつか見よう見ようと思っていたものでありました。
見た結果、「ものすごく面白かったけど、わからん」という『女神の継承』と同じ感想だったのがなかなか興味深いことでした。
作品として二本並べてみると、基本的に「祈りは届かない」と思ってる人なんだなあということはよくわかるのですが、だからと言ってここまで煙に巻かれるとは異なことじゃ。
居るだけで怖い國村隼に目が釘付けなわけですが、見終わってからしばらく冷静になって考えなおしてみると、怖いだけで別になにもやってないってのがじわじわ可笑しいのです。
山の中でお尻出したりしてるのは、まあ怖いけど別に悪いことでは……ないよなあ。
あと奇行ざんまいのわりには、何かありがたいこと言いそうな顔してるのがややこしいのだけど、それも別に悪いことでは……ないよなあ。
一方、江口洋介っぽいチャラい祈祷師が出てきて國村隼とのタイマンになるのも愉快な展開です。
「おお、小物っぽいし山師っぽいぞ、こいつはダメだ」
と思ってニヤニヤしながら見てたら、意外とそれらしいことを精一杯やり始めたりするので
「ここまでちゃんとやるなら良心的な山師のうちに入るんじゃないかな」
なんて気になってきたりします。
この感覚が『女神の継承』に出てきたシャーマンの女性を想起させられた点で
「いや、あなたはたしかに霊能力とかはないのかもしれないけど地域のため家族のために大事な役割をちゃんと担ってやってきたんだから、それは別にさ……」
という、非常にごにょごにょした感じになってくる。
大掛かりな除霊フェスなのに、田舎警官をして「あ、それくらいなら用意します」って即答できる程度の金額を要求するあたりも、ちょっとかわいいところでした。
家庭崩壊するほどの献金とか言い出さないのはどんな神にも本当に大事なことだ。
聖書モチーフであることを考えると、國村隼が神によって天から地上に落とされて堕天使になったようにも見えるシーンが確実にあるんだけど、そういう筋にそって色々読み解こうとするとむしろ監督のしてやったり顔が見えて来るような気がするのもやっかいです。
ままならない現実のカオスにそれっぽいものがいっぱい散りばめられてる世の中で、あんたはどのストーリーによって何を選ぶのかっていう選択の話のようでもある。
予断を持たずには見られないタイプの人が大量に出てきて、特に整理もされないまま終わるので、見てる側としては大変困るわけではありますが
これくらい動揺するものを見させられるというのは「映画を見る甲斐」ってもんだと思います。
わかりやすいものばっかり見て脳みそ緩んでると、商売上手な神とか悪魔とかにやれちゃうんだぞ。