晴天の霹靂

びっくりしました

青缶に生姜飴

何しろ「缶」というものが好きで、なんとなく「みんなも好きでしょ?」とさえ思いこんでいる節があるのだが、当然のこと世の中にみんなが好きなものなどない。

「こんなに愉快なものが視界に入らない人も居るのか」

というシーンに出会うと急に愉快でもある。

自分がいじましく集めたものが見る人によっては完全なガラクタでもあるというのはなんと目から鱗ではあるまいか。

 

ジャスミン茶の缶である。

いつものごとくKALDIで、曖昧な青い色と花と蝶の絵があんまりかわいいのに見とれて足繁く通ってしまった。

金は使わなければ使わないほど偉いという家で育った上に、部屋にものを増やすと集中力が途切れる性格なので、何か気に入っても手に入れるまでがいつも無駄に長く、KALDIで売ってるいろんなかわいい缶には人生の多くの時間を散らしてきた。

茶葉を飲み終わったあともしばらく画鋲などしまうのに使っていたが、そんなどうでもいいものを入れて引き出しの奥に隠していても面白くもなんともない。

 

というわけでいつの間にやら「やたらと刺激の強いのど飴」を探してきては入れる缶、になった。

のど飴は否応もなく能書きがつく時点で普通の飴よりちょっと楽しみが多い。

それも刺激が強ければ強いほど面白いに決まってるように私は思うのだが、主に流通してるのど飴はたいてい常識程度の飴である。

 

「なんでもいいから異常味のあるのど飴を」

と、ちょこちょこと探しては青い缶にしまいこみ、少なくなってきたらまた探し、などいう奇行を繰り返した末、昨今は「生姜の飴」にハマっている。

なんならちょっと涙が出るくらい辛いの、と探した結果、「うどんや」の一番強いやつが、どうかするとエグみすら感じるレベルの本気度で、缶に入れてとっておくと非常識な生活が演出できるようでいい具合である。日々がぐっと刺激的。

 

 

そもそもうどんやで生姜飴っていうのが訳わからなくていいな、とおもったら、どっちも「風邪の薬」というような位置づけで愛用されたものらしく、そのあたりも落語っぽくて愉快である。

風邪を引いたらうどん食べて生姜飴なめなめ帰ってせんべい布団で寝るのが唯一最大の薬とは、なかなか味わい深い文脈だ。

 

好きなものを、ちょこちょこちょこちょこ集めてしまうのである。秋のリスのように。