晴天の霹靂

びっくりしました

顔の近くで眠る猫は

顔のそばで寝る猫は、飼い主のことをとても信頼している、なんてことが言われるらしい。

それはそうだろう。

こっちだって信頼しているからこそ、全然爪を切らせてくれない小型肉食動物と鼻息を掛け合う距離で寝ているのだから。

 

寒い季節なので、我が家の猫は私が布団に入ると腹の上に寝場所を定める。

寝る前、肩甲骨の下に「骨盤職人」を置き、Kindle片手に仰向けに読書しているお楽しみタイムである。

近頃では大変悠長なことに、寝る前の時間は延々と『戦争と平和』を読んでいる。

ありがたいことに、まったく読み終わらない。

社会が腐乱して解体していく時代に立ち会う、血気盛んで金持ちで野心ある若者たちがオロオロしながら「あー、もう俺悟ったもんね。もう、人生わかっちゃったもんね」とか言ってるわりにいつまでたっても結構駄目だな、君ら。という愉快な話だ。

人生ってのはたぶん終わっちゃえばあっという間なんだろうけど、生きてるうちは終わりそうで終わらないので、小説だって終わりそうで終わらないのは必然なのかもしれない。

今さら慌てて読み終わる必要もないのがありがたい。

 

眠くなってきたら腹に猫を乗せたまま、「骨盤職人」をどかせて電気を消して寝る。

猫にも人にも、静かな夜がやってくる。

最初こそ柔らかくて暖かな猫の重みは気持ちが良いが、やがて窮屈になって、寝返りを打ちたくなる。

そもそも私は横向きに寝るほうが好きなのだ。

 

そーっとそーっと90度回転しようとすると、猫はちょっと怒って「んにゃっ」とか言いながら飛び降りる。

機嫌を取るべく私は、枕のギリギリ隅まで寄って、真ん中あたりをポンポン叩きながら「はいどうぞ」と暗闇の中の黒猫に向かって話しかける。

猫はゆっくり寄ってきて、用心深く枕の上で一回転するとくるりと丸まって私の鼻の頭にすべすべの背中を押し付けて眠るのである。

手を伸ばして手探りで顎のあたりを撫でてやると途端にゴロゴロいいはじめ、私は骨伝導でゴロゴロ演奏を聞きながら寝る。

猫というのは本来無臭だが、鼻腔から健康で日々の生活を送っている生き物の活力の匂いが流れ込んできて暖かい。

枕からほとんど落ちた人間の頭と、それに密着する丸い猫と。

この絵面を「信頼」と言わずして、どんな信頼の図形があるというのか。

 

そうは言っても朝までに、猫がどこでどう寝てるのか正確には把握できないのは、お互い寝ながらずいぶん転々と動いているのだろう。

必ず、猫のほうが少し早く目覚める。

どこかからやってきて、私の顔を覗き込み、額のあたりを肉球でチョイチョイつつく。

「あー、はいはい。すいません」

まだ夢を見ている頭を枕のふちギリギリまで撤退させると、再び猫は乗ってきてゴロゴロ言いながら私が諦めて起きるのを待つ。

寝ぼけ眼に思うのだ。

こうして一緒に寝る日々は、あるいは人生でもっとも幸せな夜の積み重ねであるかもしれないが、しかし一方、毎朝一番で猫に頭をこづかれる人間というのも、どういったものか。

夜は「信頼」の形に見えるものが、朝はちょっと「舐められてる」の形に見えたりする。

信頼とは、ちょっと軽く見積もることと見つけたり。

そうして不承不承始まる、冬の朝なのだ。