晴天の霹靂

びっくりしました

追いモデルナ ~こういう状態を何にたとえるべきなのか

「なにか先生に聞きたいこと、不安なことはありますか?」

と、持参した問診票を確認しながら受付の女性がフェイスシールドごしに聞く。

モデルナワクチン接種二回目である。

 

「一回目の副反応、まだ残ってるんだけどいいですか?」

ちょっと肌寒いのを我慢して着ていた半袖シャツをひょいと捲くって見せつつ答える。

一回目接種後に豪快に腫れたモデルナアームはだんだん収まって来てはいるが、まだ赤っぽいというか青っぽいというかちょっと不気味な心霊写真みたいに私の左腕に張り付いている。

「極端に痛いとか痒いとかはないですか?じゃあ問題ないです」

てな具合のことを言われるとばかり思って半分余興で見せたつもりであったが、その人は一瞬目を丸くした。

「四週間経ったのにまだですか?じゃあ先生に聞いてみましょうね」

と言って、ボールペンで備考欄に何やらを書き込み、緑色のリボンを問診票に挟んで次の関所へ送り出される。

見ると「赤みかゆみあり。紅斑?」などと走り書きしてある。いや、もう痒くはないんだど。

あれだけしっかり腫れるんだから、四週間では完治しない人もそれなりの割合でいるんだろうと、さほど深く考えずにノコノコやって来たが、意外な反応だったなあ。

自分に起こることって「だいたいこれが普通なんだろ」って思ってしまうもんだけど、思い込みである可能性は常にある。

 

緑のリボンと問診票を持ってたどり着いた先の先生は走り書きをみて

「どんな感じですか?」

と覗き込んでいう。

「ああ、それくらいなら大丈夫ですね。副反応が大きいということはそれだけ免疫がしっかりできてるということでもあります。良薬口に苦しというふうに……」

あ、はい、私もなんとなくそうかもなって思ってましたけど、その諺の使い所、微妙に違ってませんか?

「偉い先生も言ってます」

「うふっ……あ。はい」

いや、そういうことだっけ?偉い先生じゃなくて中国の故事成語とかそんなじゃなかったっけ。

 

そもそも「良い意見は耳に痛い」みたいな話を薬にたとえた成句を引用して良いワクチンは副反応が大きいということを表現しようとしているということはつまり、

「良い意見」というもともとの意味は雲散霧消したわけで、そのうえ「ワクチン」と「薬」の関係がが近すぎて、比喩だか具体的な話なんだかいまひとつわかりにくくなりますよね。

などと思っているうちに赤まだらな左腕に二回目モデルナワクチンは打ち込まれた。

「じゃあ、むこうで15分座って様子を見てください」

「ありがとうございました」

 

パイプ椅子に座って私は考える。

つまり、こういうことじゃないか。

お盆の時にご先祖さまの行き帰りの乗り物を用意すべく、昔はナスやらきゅうりやらを加工して牛馬を作っていたのを、今や時代が進んでプラスティック商品の「なす牛」と「きゅうり馬」が売られるようになった。

「あれ?もう、直で牛とか馬の模型を作ればいいんじゃないの?なんでいったんナスときゅうりを経由する必要があるんだ?」

と、みんなちょっと思ってるけど今更言い出しにくい、みたいなことか。

牛と馬が「良い意見」で、ナスときゅうりが「薬」で、プラスティック供物が「ワクチン」?

あれ、全然関係ないかな?

ぐるぐるしてるうちに経過観察タイム15分が経過。

「具合悪くないですか?」などと心配されつつ無事終了のシールを貼ってもらって送り出された。

具合は悪くないけど考えがまとまりません。

 

「高熱が出るらしいよ」などと聞いてるので、とりあえず記念に測ってみたら37度である。

ほほーう。まあ、アイスノンあるし、麦茶もいっぱい作ったし、いいんじゃないかな、うふ。

丸一日くらい動けなくなったら布団の中で何読もうかなー。

普段熱を出す経験がなく、出たとしても原因が分かっていて安静にしていさえすればいい安心感があるので、若干ワクワクしていたりもする。

 

さらには、どういうわけか、二回目を打ったとたんに四週間かかって治らなかった一回目の副反応が引っ込んだではないか。

なにこれ、「迎え酒」みたいな原理?