晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

ちゅーるによる愛のカツアゲ事件の顛末

どこの家にも多かれ少なかれある傾向だとは思うが、暑い季節の猫というのは比較的素っ気ない。

寒い時期は座りさえすればすぐにすり寄ってきて膝に乗ってきてくれる猫でさえ、暑いとひとりで勝手に涼しい場所を探しにいって余計な発熱を避けるべく昼寝ばかりになる。

 

人間は、寂しいのだ。

恩を着せるわけじゃないが、人間にしてみればこの暑い時期は、とりわけよく働いている。

猫砂は匂いがしやすくなるから、より頻繁に猫トイレの丸洗いをするようになるし、餌だって悪くならないように食べ残したらすぐに洗って雑菌の繁殖を防ぎ、飲水も新鮮を保つために気づいたら取り替えるように心がける。

暑い中で快適に暮らしてもらおうと思うだけで、それなりに手間は増えているのだよ。

君と私が損得勘定でつながっている絆だとは言わないが、それら季節の気遣いにひきかえ、ここひと月ほど全然抱っこさせてくれなくなっていることについて、君の方ではいったいどう考えているのか。

 

かくして猫からの愛の枯渇に悩んだ私は、ついにちゅーるを購入した。

先代も入れれば猫を飼うようになってから六年、あえて避けて通ってきた噂の最終兵器だ。

初めての子猫を飼って右も左もわからなかったとき、獣医は言ったものだ。

「まずそうな餌をおいしそうに食べる猫が一番幸せなんです」

なるほど言い方に少々難があるがわかりやすい、と思った私は、その教えを頑なに守り、先代の虎猫も、今いる黒猫も、サイエンスダイエットというまずそうな餌だけで立派に育ててきた。

 

しかし、ことはここに来て、猫の幸せだけでなく飼い主の幸せも問われる事態になってきてしまった。

暑いからと言って猫とのコミュニケーションが減るなんてつまらない。

もっと好きなときにモフモフモフモフモフしたい。

そうして私の中でひとつ、ゆるやかな道徳衰退が起こる。

あの六年前の厳しくも優しい獣医の言いつけを破って、全ての猫を夢中にさせることで有名なちゅーるに手を出したのだ。

 

開封した初めてのちゅーるを構え、机の下で寝そべる猫の鼻先のほうに向けながら匍匐前進で近づいていく。

好きな匂いがするのか、猫は興味を持ってじわじわ近づいてきた。

そしてぺろっと舐めると、もう、あとは噂に違わぬ熱心さで袋から出てくる液状の餌をなめ続ける。

「おお、すごいな。そんなに顔伸びるんだ」

猫はびっくりした時によくやるように、両の耳を力いっぱい後ろに倒し、しかし鼻と舌だけはめいっぱい前に突き出すため、かつて見たことないほど顔が前後に伸びて暗黒新幹線のようになっている。

もともとが黒いせいで必要以上に扁平に見える顔であるため、余計に面白い。

「おお、伸びる伸びる。ほーれほれ」

猫以上に夢中になって袋から餌を押し出していると、小さな一袋はあっと言う間になくなってしまう。

「どう?ちゅーるおいしかった?」

余韻を楽しみつつちょっと一緒に遊ぼうと思って、指先でちょっかいを出しながら感想を聞いてみるが、空になったことを察知した猫はさっさと毛づくろいにかかり、そしててきぱきと机の下に戻ってまた昼寝の体勢をつくってしまった。

 

……ないのか。

「もうちょっとちょうだい、ごろにゃーん」的なやつとか。

「こんなおいしいものありがとう、ごろにゃーん」的なやつとか。

そういうのは一切ないのか。

 

空のちゅーるの小袋を持って呆然とする私。

ちゅーるが登場する前まで時間を巻き戻したかのように、マイペースの自分の生活を再開した黒猫。

 

愛ってなんだ。