晴天の霹靂

上品な歩き方とかを習得できないまま人生を折り返すとは

猫の送り火(フライング)

昨夜のことだ。

寝る前に換気をしようと窓を明けて夜空を見ていたら、外でにゃあ、と声がした。

慌ててベランダに身を乗り出して下を見る。

声の正体はわからない。ここは五階である。

 

「明日ちゃんと送って上げるから、もう一日ゆっくりしていきなさい」

などとつぶやきながら、いそいそと線香をつける。

 

間違えて、暮れ方に送り火をやってしまったのだ。

猫の初盆のためにベランダでささやかながら迎え火をたいたのが13日の夕方。

お盆行事なんて、他にやったことがないからよくわからずに15日の夜にはもう送り火をしてしまった。

ところが夜遅くなってから、どうも送り火は16日に行うらしいことに気づいたのだ。

どうせ一人で自分のペットを追悼するものだから、いつでもいいといえばいいのだけど、たった4日しかないお盆を3日目にそうそうに送り返してしまったのは、ずいぶんと申し訳ないミスをした気がする。

「来年はちゃんとやるから。ごめんごめん」

というようなことを考えていたところで、窓の外でにゃあと言ったのだ。

 

もちろん、ペットロスで気が変になっているわけではない。

猫のことを考えていたから耳に入った物音が鳴き声に聞こえた可能性とか、外にたまたま野良猫がいた可能性とか、そのくらいの道理はわかる。

ただ昨年死んだ猫の不在を、まだリアリティのあるものとして心の中に持っていたいという、ごくありふれた願望の話を、今はしている。

 

そうかそうか。せっかく戻ったのにまだあっちがわの門が開いてなくって、

「なんだ、時間間違えてるじゃん」

っていうんでまたトコトコ走ってうちまで帰ってきてくれたか。芝浜みたいだ。

そりゃあ、いらない苦労をかけたね。

でもそのせいで、君の声が久しぶりに聞けたと思うと楽しくて仕方ない。

 

寝るまでの間にあと二回、にゃあ、にゃあ、と聞こえた。

もっと聞きたくてじーっと耳を澄ましていると、いつの間にかいろんな秋の虫が鳴くようになっていたことに気づく。

名残惜しく窓を閉める。

もうすっかり寝るにもちょうどいい気温の夜である。