晴天の霹靂

びっくりしました

『オリンピック秘史』~わたしが払って、あなたが儲ける

見慣れない運動競技が色々あるので「へー」とか「ほー」とか言いながら見る日々です。

昔から比較的見慣れているはずなのに、久しぶりに目にして平気でいられなかったのが重量挙げ。

オリンピックでもない限りなかなか目にしないとはいえ、オリンピックのたびに必ず目にする競技でもあり、今さらびっくりすることもないようなものなのですが、

なにしろこちらも、生物として本体の耐用年数に比べて関節の耐用年数のほうがだいぶ短いことに気づいてしまっているお年頃です。

「ああっ、そんなもの持ったら肘がっ!膝がっ!」

と、つい目を覆ってしまい、運動競技を見ているというよりは、バイオレンス・アクション映画を見てるときのリアクションに、なってしまいますね。

なぜ人は、重いものを地面から持ち上げようとするのか。

もう、そこに置いておこう、重いんだから。

 

 

本日のオリンピック読書。

 なんだか、事態がおかしくなってるとつい「あいつとあいつが悪いんじゃないかな」みたいな単純なことを思いたくなるものではないすか。

あのやたら口の軽いおじいさんが悪いんじゃないかとか、あの中抜き上手な経済学者が悪いんじゃないかとか、闇の力で日本を牛耳っていると名高いあの広告会社が悪いんじゃないかとか。

そのほうが話として面白くなることもあって、わりと単純化したくはなりますが、誰がどの都市に誘致してきてもそれがオリンピックである限り、必ず同じ腐敗が起こる、ということが書いてあるのが『オリンピック秘史』

 

貧困層の地上げも、テロ防止を口実にした監視強化も、ありえないほど費用を低く見積もっておいてその後税金で補填するやり口も、賄賂や買収も、どこで誰が開催しても必ず起こる。

著者は巨大資本と結びついて以降のオリンピックを、集団的多幸感につけこんで発達する「祝賀資本主義」と名付けている。

これは集団的ショック状態のあとで権力がネオリベラリズムを推し進める「惨事便乗型資本主義」の親戚であり、ふたつは手を携えて現代の資本主義を先へ進めている。

 

なるほど、こういう話を読んだあとで今大会のことをことを思い起こすに、「復興五輪」も「コロナが人類に打ち勝った証」も、別に今この国だから起こったプロパガンダというわけでもなく、そもそも最初からこういうシナリオになっているものを持ち込んで粛々と再生してしまっただけのことだということがよくわかってすっきりする。

……いや、すっきりはしない。