プランターに土を張って、気が向けば果物から取り出した種やら、発芽してしまった野菜やら、もらった百均の種やらを、時々好き勝手に放り込んでいたのが命名「我が家の限界農園」である。
冬の終わりから開墾しているものの、農園というよりは貝塚と言ったほうがいい使用状況であるため、「水をやる」という概念をもたぬまま、今やついに季節は夏至である。
あるときふと水をやってみたら、なんと水やり2日目には何らかの芽がひょこひょこと出始めたのだ。
驚いた。
芽が出るかもしれないなあ、と思ったから植えていたには違いないのだが、実際出るとずいぶんと不思議なものだ。
何のために出てきたんだ、君たち。
しかし問題は、なんだかいろいろな種を機嫌よく放り込み過ぎたので、一体何が発芽してるのか全然わからないことだ。
一番それらしいところを考えれば、朝顔とニンニクが発芽してきてるように考えられる。
しかし他にも、ピーマンやらネギやらりんごやら、松やらネコヤナギやら、可能性だけはゼロとは言えないものもいっぱい埋まってはいるのである。さながら幼年時代。
そんな見放された可能性のたまり場に、今さらなぜ水をやる気になったのかといえば、栽培優等生の豆苗のせいなのだ。
スーパーで買った豆苗は「残った根元を水に浸しておくと新しい芽が出てきます」と書いてある。
無論そのようなことはだいぶ前から知っているし、豆苗の再収穫は大変楽しいことも体験済みなのではあるが、近年では部屋のどこで育てても夜中に猫が食べてしまうためにすっかり諦めていたのだ。
ところが、ふとした拍子に久しぶりの豆苗を買い、美味しく食べ、その後、まだ再生できる根っこをみすみす捨てるわけにもいかないので、はたと困った。
思案するうち、ベランダに未使用のプランターがひとつ余っているのを思い出した。
ベランダで育てれば猫にいたずらされる心配もなかろうというので、ぜいたくにも培養土に植える運びになったのである。
こちらは経験的に水分さえあれば簡単に育つのを理解しているので、意味不明なネグレクトに走ることもなく、当然のように植えたらすぐにたっぷり水をやる。
その流れで、もう一個の見捨てられた可能性のプランターのほうにも余った水をかけるようになったのだ。
これがどうやら、やつらの人生に思いがけない輝きを与えたらしいのだ。
収穫めがけてわっさわっさと景気よく育てる豆苗もかわいいが、なんだかわからないものについでに水をやってなんだかわからないままに育てている自分、というのもおのが人生の投影みたいで面白い。
「いいね、やっぱり。芽が出るってのはそれだけでやっぱりいいもんだね」
などとうそぶきつつ、毎朝ステテコ履いてベランダの何かに水をやる生活が始まったのである。
なんでもいいから大きく育て。