初夏の素晴らしい日差しを存分に室内に入れるべく窓を拭いていたら、ガラス越しに室内の猫が眼をまるくしてこちらを見ている。
そんな珍しいものを見るような視線で窓掃除を見るんじゃない。
まるで私がめったに窓を掃除しない人みたいではないか。
大きく右、左、右、左、とクロスを振っていくと、頓狂な顔をした黒猫が一緒に右、左、右、左と顔を振るのでやめられなくなる。
なんだこれ、めちゃめちゃ面白いな。
窓拭きには、「濡らした新聞紙で拭くと跡がつかない」という知恵が広く流通してるようであるが、あれほど堂々と期待を裏切ってくる知恵袋も珍しい。
新聞紙なんかで拭いたら、その後しばらく薄汚れたガラス窓とともに暮らす羽目になる。
駅売りのスポーツ新聞じゃないと駄目とかなんとか、あれは実は特殊なコツがあって、世界で私にだけ知らされてないんだろうか。
私が知る限り、 SDGS的には新聞紙よりだいぶ形見が狭くなるものの、専用の使い捨てシートが一番手軽で綺麗になる。
窓は、目についたときにすぐに掃除できることがとても大切だ。
そうしておかないと、ちょっとうっかりしてるうちに、たかが窓拭きしたくらいで人倫にもとる逸脱行為をしているかのような眼差しを飼い猫から浴びせられるようになってしまうのだから。
昨年の夏より、麦茶改革をちょっとずつ進めている。
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麦茶ポットを、耐熱ガラスのものに変えて、水出し用の麦茶パックをお湯で出してみることにしたのが昨年の夏。
濃く入るのでまあまあ悪くないと思っていたのだけど、今年はせっかくだからというので煮出し用の粒の麦を買ってみた。
手に持った瞬間、まず重いのに驚かされた。
スーパーで買う鶴瓶さんは、54袋も入ってるだけあってかさばるが、重さを感じたことはない。
それに比べて粒の麦茶はあからさまに穀物の重みがずしっとあって
「これ、何年分入ってるの?」
と思ったほどだった。
そうか、麦って重いのか。
本当は煮出し用なのだが、そこまでの根性の持ち合わせがないため、耐熱ガラスのポットに麦茶パックを入れて上から電気ケトルで沸かしたお湯をそそぐだけにした。
そのまま放置して粗熱が取れたら麦茶パックを取り出して、冷蔵庫にしまう。
これが、うまい。
飲んだあとで鼻から抜けていく香ばしい麦の香りは、釣瓶さんのときには忘れていた本来のアレと言ってもいい。
「これが麦茶かっ」
としみじみしていたらやたら大量に飲んでしまって、後がなにかと面倒だったほどだ。
用もないのにやたら飲むくらい美味しい。
つまりは、「熱中症対策には、喉が渇く前に水分を取りましょう」なんてことを言うより、麦茶を「飲みたくなるくらいおいしいやつ」にかえておくほうがだいぶ有効なのではないか、なんてことも思う。
子どものころの麦茶がすごく美味しかったのは、粒の麦を煮出していたからなのだ。
あれから半世紀もたたぬのに人はみるまに軟弱になったもので、もう猛暑にコトコトと麦を煎じ続ける根性はなかなか出ない。
それでも、お湯で出すだけでここまで味が違う麦茶を飲めるのであれば、これはこっちのほうがいいのではあるまいか。
電気ケトルなら沸かしても室温はあまり上がらないし、一晩放っておいて冷蔵庫にしまう前にパックを取り出すだけの手間なら(後日注:いろいろ試したところ一晩おくと苦味も出てくるので3,4時間で取り出すほうが美味しいようだ)、それほど負担ってことにもなりもすまい。
ちょっと子供時代の郷愁まで連れてくる、これは魔法の飲み物である。
最初のひとパック飲んだだけで、 感動のあまり定期お得便に申し込んでしまった。
届くときに重さにびっくりするけど。
麦茶ポットって、大人が使うのであれば、カルキの結晶がつかないぶんプラスチック製より耐熱ガラス製のほうが扱いやすいように思う。
熱湯で入れられるのも良い。煮出すより楽で、水出しより味や香りが出る。