晴天の霹靂

びっくりしました

深夜二時、レモンゼリーと骨壷袋

深夜2時にかんてんぱぱで作ったレモンゼリーを食べていた。

 

まず、なぜ深夜2時にかんてんぱぱで作ったレモンゼリーを食べていたのかという話をしようと思う。

お腹が空いたのだ。

お腹が空いたが、大人としてはこんな夜更けになにか食べるというのはいかがなものか、というような時間である。

その点、固めた寒天液は構成要素が水と水溶性食物繊維なのであるからして、「良心の問題としては食べたうちに入れないことが可能」でありながら、「腹持ちの瞬間最大風速としては相当頑張れる」という条件を満たす。

唯一の欠点としては、水のがぶ飲みとほぼ同じことになるので、寝付いてもトイレに行きたくなって目が覚めるところなのではある。

だが、私は深夜に何度トイレに行ってもなんのためらないもなくすぐに再入眠できるほど強靭な熟睡力の持ち主なので「ちょっと面倒くさい」という以上の実害はない。

これは自慢に値する能力と言えるだろう。

 

つづいて、かんてんぱぱを使ったレモンゼリーの作り方を紹介しようと思う。

これは電気ケトルで沸かしたお湯を400cc用意し、そこにお湯で溶けるタイプの粉末寒天を小さじ一杯さらさらと振り入れ、できるだけ我慢強くかき混ぜる。

理想は一分間だが、黙って液体をかき混ぜているだけの一分というのは予想以上に長いものだから、そんなに長くかき混ぜていられた試しはない。

人間はたった一分間無心になることですらも非常に難しいものなのだとユヴァル・ノア・ハラリも言った通りだ。

そんな精神修養の不足したかんてんぱぱが、だいたい溶けたはずのところでポッカレモンをどぼどぼどぼ、という感じでむやみに注ぐ。

最後に食用のハッカオイルをシュッと1滴。

とたんにハッカオイルが揮発して目の粘膜を直接攻撃する湯気と化して立ち上ってくる。

ようするに大部分揮発しているということなので、果たして入れる意味があるのかどうか今ひとつ確信が持てずにいるのだが、なんとなく癖なので入れる。

そのまま放っておけば、室温で固まるので、あとは液体パルスイートを適当にかけて食べる。

私にとっては非常に嗜好にあった食べ物で、ここのところずっとハマっているのだが、一般的な意味でおいしいかどうかについては非常に疑わしい物体である。

 

そうやって、なにやら恐ろしげなレモンゼリーを深夜二時に食べていた時の話である。

部屋の明かりは消えていて、台所の豆電球だけがついた薄暗いなかで食べている。

いつもより照明の色がずっとオレンジがかっている。

ふと正面を見れば大事な猫の骨壷カバーが、なにやらシミになっているではないか。

光沢のある水色のサテン地なので明るい照明の下で見ているぶんにはほとんど気づかずにいたのだが、赤みの強い光の下でみると、茶色かかってきている部分がずいぶんある。

わかっているのだ。

骨壷の横に供えてあるお花を、現世でひとりやんちゃな肉体を持て余してる妹猫が何度か倒したせいだ。

ただの水ではなく栄養剤をいれてあるので、放っておくのはあまりよくないだろうなあ、と思ってはいた。

それでも、あの日あの時から一度も袋から出していない骨壷を取り出して裸の状態でしばらく晒しておくことになにか妙な抵抗があって、ふきんで拭いただけでそのまま自然乾燥にしてしまっていたのだ。

 

ああ、これはいけないな。

あの子をシミのついた袋に入れておくわけにはいかない。

私は深夜二時に薄明かりの台所テーブルであやしげなレモンゼリーを食べながらしみじみと思った。

あの子の骨壷カバーを、洗ってやらねばならぬ。

 

翌朝は少し風が出たものの、ぼちぼちの洗濯日和であると言えた。

骨壷というのはきちんと蓋のしまるものでなく、揺れる度にカタカタと高い音のなるものであることに、妙な緊張感を抱きながら、カバーを取った。

洗面器にぬるま湯を貼って、洗濯洗剤を溶かし、剥いだ骨壷カバーを沈めると驚いたことに水はすぐに薄茶色になる。

毎日見てるのに、こんなに汚れていたことになんで気づかないものかな、と訝しみながら洗い、タオルに挟んで水気をとって、ピンチハンガーにぶら下げる。

風があるので部屋干しだが、早く乾くように窓を明けて換気した。

「うん。だいぶ綺麗になった気がするぞ」

となにやら嬉しい気持ちでしばし見惚れる。

 

振り向けば、押入れでは私の布団を重ねたうえで黒猫が見事に丸くなって関心なさげに寝ている。

さっきまで、ちょっとばかり風のある中をベランダ探検に出たから疲れたんだろうか。

一人っ子になって以来、ますます気の小さい猫だ。

7月で、あれから一年になるんだもんなあ。

我が家も、穴があいた船みたいにあちこちで沈みかけながらどうやらここまで航海してきたわけか。

骨壷カバーを洗う人間と、あの日以来少々神経質になった黒猫と、不在の虎猫。

今日、この瞬間の家族の姿である。