晴天の霹靂

びっくりしました

「そういうお前は誰なんだ」~キム・ジヨン、ティリオン・ラニスター、サルトル

くさくさするので近所の神社へ行った。

おみくじを引く。

おみくじって、せっかく引いても「大吉」とか書いてあるところしか読んでいない人が多いようであるけれど、一番おもしろいのはその上に書いてある、どうとでも意味の取れる和歌だと思う。

なんだかモヤモヤしてるときにおみくじを引いて

「この和歌は自分にとってどういう意味だ?」

なぞと考えながら散歩するのは面白い。

だいたい、どうとでも取れるものを自分にひきつけて考えようとするときに、なんとなく気になってる問題が背後にチョロチョロと見え隠れしてくる。

それがたぶん占いってものの遊び方ではあるまいか。

 

 82年生まれ、キム・ジヨンを見た。

82年生まれ、キム・ジヨン(吹替版)

82年生まれ、キム・ジヨン(吹替版)

  • 発売日: 2021/04/02
  • メディア: Prime Video
 

 原作の小説がベストセラーになっていた2019年に、すぐ買って読み、その時は実はあまりピンとこなかった。

中に出てくるエピソードの個々は身に染みてわかるのだけど、一方では日韓の文化差もあって「ここは違う」というところも多く、総じて小説としては散漫な印象を受けた。

どこかの結論に向けてまっすぐ進む形ではなく、エピソードの積み重ねであり、ある意味散漫であるからこそ、誰でもがわがこととして読むことができ、世界的なヒット作になる所以でもあったのだろう。

しかエリートサラリーパーソンでもなく母でもなく妻でもない私としては、微妙に自分の葛藤の実感とずれたのだ。

 

世に出て就職することがままならなかった母親世代の呪いのような期待を背負って、偏差値社会をサバイブし、世界金融危機の荒波を乗り越えて青息吐息でなんとか手に入れた就職口。

ところが結婚出産した途端に、どうあがいてもその仕事は放り出さざるを得ず、そうしたが最後二度と社会に戻っていく通路はないという現実に直面する。

この世代に酷なのは法整備や社会通念などでは一応「男女平等」が理念上は整っている時代であり、学校では「男ができることはなんでも女もできる時代になったぞ、どんどん行け」というメッセージで頑張らされてきているのである。

子ども生んだとたん、聞いてなかった落とし穴で自分を発見する絶望感は、産んでなくても想像に難くない。

f:id:rokusuke7korobi:20210515185717p:plain

82年生まれ、キム・ジヨン

 

それでもなんとか出口を探すべく奮闘する中、子どもを散歩に連れ出し、テイクアウトの珈琲を買って公園でつかの間の一息。

そばにいたサラリーマンのグループに聞こえよがしの陰口を叩かれる。

「いい身分だな。俺も夫の稼ぎで珈琲飲んでブラブラしたいよなあ」

 

働く権利どころか、もはや人前で珈琲を飲む権利もないのか、という絶望感。

それをきっかけのようにして決定的に精神状態が悪化していく。

小説で読んでも映画で見ても、胸の痛むシーンだ。

小説ではこのシーンはこれきりだったように思うが、映画版ではこの場面の回収編ともいうべきシーンがついていたのが印象的なのだ。

 

話の最終盤、再び子連れで珈琲を買うジヨンに向かって、聞こえよがしにサラリーマン3人連れが言う。

「マムチュン(ママ虫/母親を害虫に喩えるネットスラング)だ」

キム・ジヨンは意を決してその三人組に近づいて言うのだ。

「私は虫なの?あなたは私の何を知っているの?何も知らないくせになぜ決めつけるの?それなら私もあなたを評価しようか?」

 

 

小説版と比べて、私にとって印象深かった違いはこのシーンだ。

この回答は、サルトルじゃないか。

「見る-見られる」の関係を闘争と呼んだサルトルは「一方的に見られる」ことから自己を回復するためには「見返す」ことだと言う。

「あんたが私を虫呼ばわりするのはよくわかったが、私をそう決めつけるお前は誰だ」

と言ったときにジヨンは他者の視線の中にあって自分を取り戻す、ということだ(と思う)。

サルトル『実存主義とは何か』 2015年11月 (100分 de 名著)
 

 (サルトルに関してはこのムックに書いてある程度のことしか知らないので自分でも恥ずかしいが、話の流れなので見逃して)

 

 

「他者から向けられる視線」ということで最近ずっと考えているのは『ゲーム・オブ・スローンズ』のティリオン・ラニスターなのだ。

rokusuke7korobi.hatenablog.com

 

劇中、小人症のティリオン・ラニスターはこんな趣旨のことを言う。

「人が『子鬼』と呼ぶならその呼び名を自分のものにすればいい。

そうすればそいつらは、もうその呼び方で俺を傷つけることはできなくなる」

f:id:rokusuke7korobi:20210505004742j:plain

これはとても心に残るシーンなのだが、それにしてもひとつ疑問がある。

どうやったら、わざわざ人を傷つけるために考え出された悪意のあだ名を自分のものになんかできるのか?

いかに幼稚な悪意、もしくは無知、想像力の欠如に過ぎないとわかっていても、やっぱりそれが他ならぬ自分に向けられたというだけで傷つくものじゃないか。

 

ティリオンは、辛辣な毒舌家なのだ。

つまり相手の常識を軽々超えて越えて「お前はいったい何ものか」を突きつけてくる存在として自らの立ち位置を確立したキャラクターである。

おそらくはそれこそが答えだ。 

 

「あんたが私を悪意を込めて見るのはわかった。じゃあその悪意を向けてくるあんたは誰?」

という問の中に、尊厳の回復の可能性がある……んじゃなかろうか。

 

 

 

 

今週のお題「やる気が出ない」