ちょっとばかり郊外を歩いていたら、街が切れたあたりで目の前に唐突に大きな雪原が広がった。玉ねぎ畑かなにかだろう。
こんもり盛り上げたような新雪が丸く積もって可愛らしく、その上に、はしゃいで踏み込もうとしたけど予想以上の深さに戸惑って諦めたらしい犬の足跡が点々とついている。
毛衣を着ているとはいえ、犬だって暖かい日の方が、散歩のテンションもあがるに決まっている。
いや人間にとっても実に気持ちのよい日である。見上げると、それは見事な飛行機雲が今まさに長く尾を引いて伸びていくところだ。
なんと2月の飛行機雲がこんなに綺麗に見えるものとは知らなかった。
呆れるほど白く長く、すーっと音が聞こえるような細い筋を描いて、飛行機は左右を切り分けて進んでいく。
きっぱり空のジッパーを開けて、我々が一枚ずつ冬物を脱ぎ捨てていくように薄皮の向こうから一枚、また一枚と、春に近づいていく仕組みであろうか。
「そうか、空の春ってこんなふうに一枚ずつ剥がしていくのか」
感心してずっと見上げていると、また一機、後からすーっとやってくる。
空と雪原の間のひだまりのところどころでは猫柳が膨れる。
今はちょうど猫の毛のような愛らしい蕾だが、まもなくみんな怒った猫のようにおしべやらめしべやらでぶわっと膨らみ、そのまま怒りを込めて突然ぼとっと下に落ちる運命だ。
何もかもがこんなに歓迎の意を持っている春に、なぜ猫柳だけが怒るのかと言えば、飼い主なら誰でも知ってるとおり、猫は喜びすぎると時々感情が混線して急に怒りだす生き物だからだ。
撫ぜてほしいときは自分でわざわざ膝に座りに来て、ゴロゴロ言いながら撫でられているが、満足度が飽和点に達するとにいきなり手に噛み付いてくる。
あれは猫の特質であり、猫柳の特質でもある、というのが私の観察だ。
猫っ気のあるものは、満足しすぎるといきなり怒る。
つまりはそういうことだ。
犬も人も飛行機も空もひだまりの猫も、みんなが一斉に思っている。
アレが来るぞ、ついにアレが来るんだぞ。
あまねく生命あるものどもよ、喜びの用意はいいか。