自分が好きで夢中で読んでいる本を、まさに読んでいるときに誰かが紹介していると
「ほら、見ろっ!」
と人に言いふらしたくなるのは妙なものです。
たまたま今読んでいただけで、毫も自分の手柄ではないことは知ってはいるのだけど。
近頃米粒写経が毎日更新しているマニアックな書籍の紹介の動画で本日、クリスマスの一冊が『怖い俳句』だったのでつい奇声が漏れた。
ああ、それ好きなの、私だけかと思っていたっ!
この本の何がいいって、人と読むのが楽しいのだ。
動画でもちょっとやっているが、短いからまず人と読み合わせてとりあえず「怖い」ということを共有したうえで、じゃあこれどういう状況だと思う?というすり合わせする。
同じ言葉の並びから恐怖を受け取ってはいても、解釈は全然違うのでまったく違う怪談みたいなものが人の数だけ生まれたり、生まれ損ねたり。
私が好きなのはこれだ。
血の如く醤油流るゝ春の家 攝津幸彦
とりあえず、「なんか怖いって!」
ということは確認しあったうえで、さて、いったい何がどうなっているのか。
余計なことを考えずに12文字だけ見ればまず怖いのは
醤油が黒ずんだ古い血みたいな色だとふと思ってしまう精神状態と、
なんで醤油が流れちゃってるんだ、っていう事件っぽさと、
匂いはすごく身近な生活臭なのに、意味が破壊されちゃってる危うさと、
全体が不穏なのに「春の家」だけなぜ呑気なんだよ、っていうような感じである。
では、どういう状況なのか。
いつもどおり料理をしようと思っていた人がなんとなく上の空で醤油の瓶を倒してしまう。それがどくどくと流れ出るのを見た瞬間に、長い年月積もり積もっていた心の中の闇が一気に決壊して、キューブリックの血の海みたいに家全体をどぱーっと飲み込んでしまってそのまま発狂するのか。
それとも
呑気な男が呑気に住んでいる借家で、友達が泊まりに来た夜
「この部屋のこの部屋だけ、拭いても拭いても醤油のしみができるんだよねえ」
「それ、まずいって。引っ越したほうがいいよ」
「いや、別にたいして害あるわけでもないし、この部屋安いからさ」
「だいいち、これ醤油じゃなくない?」
「ん?まあ、醤油だろ」
……というような状況なのか。
なんでも考えられるのだ。
これ一冊あって、人間が二人以上いれば、無限に楽しめる。
特に年末年始なんかに手元においておくと本当に面白い。
首吊りの木に子がのぼる子がのぼる 高岡修