晴天の霹靂

びっくりしました

ホームメイド供養~素人戒名、読経デュオ

母の戒名をつけたのは、私なのだ。

誰に承認を受けたわけでもないその戒名は、実家にたまたま余っていた細長いタイルに油性ペンで書き込まれ、しばらく骨壺に寄りかかって斜めに立っていたのだが、

毎日見ているうちに「これはあんまりだ」と思ったらしい父がビニールテープの芯にカッターで切れ込みを刻んでスタンドを作ったことで自立できるようになった。

 これにより、今後納骨をしてもDIY位牌は寄って立つ足場を確保できた次第。

 

 「じゃあ、いっちょやりますか」

と自由過ぎる位牌に向かって父娘は正座し、

「ぶっせつまーかーはんにゃーはらーみーたーしんぎょーぉ」

とはじめる。

急ごしらえとはいえAmazonミュージックで何時間も繰り返して耳から覚えた私は、素人にしちゃうまく読んでる方だと思うが、遍路が好きで毎年八十八か所霊場のうちのどこかしらの寺で数回は読んでいるはずの父は、小学校一年生の国語の授業のようにおぼつかない。

骨壺の中の人も、この光景にはずいぶん笑い転げているに違いない。

 

最後の外出は家の裏手の公園での花見だったというので、じゃあ同じ場所に行って同じ写真を撮ってこよう、と弁当を持って出かける。

いまや花も実もないエゾヤマザクラの木は

「これもこれもこれも、全部桜だ」

と教えてもらわなければわからないくらい普通の地味な木になっているが、見上げていると隣の木に青いいがぐりがぶら下がってるのが見えた。

「こっちは栗の木だ。実がついている」

というと、父も見上げて

「ほんとだなあ」

と言った。

 

その公園の他にもよく行く散歩コースがあって、母が「あれは私の栗だ」と言い張っていた木があるのだという。

「でも他にも狙ってる人がいるらしくて、実がなくなってるときもあるんだよな。私の栗を誰かに取られたっ、ってよく言ってたぞ」

「へえ。毎年栗ご飯してたの?」

「まあ、そうだな。でも毎回二つとか、みっつとかそれくらい。ほんのちょっとだからいいんだよ。面倒くさくなくて」

あははは。なんだいい話あるじゃないの。

ここに来なければ聞き逃すところだった。

 

団塊の世代である両親はそれなりに堅実な人生を送り、比較的実直凡庸な子どもを二人育てあげたが、年子のふたりはそろって就職氷河期世代、川の流れのようにごく自然に末代となった。

寺との付き合いもないし、信仰もないし、親類縁者もないから、何もしない何もいらないというのは二人で話しあって決めていたのだという。

だから母は亡くなってから一度も宗教者にあっていない。

 

それはあっぱれ見事な最期だが、供養と言うのは送った側の人が

「ああ、こんなことならああしてやればよかった。本当は伝えておきたいことがあった」

という気持ちを少しずつちぎって忘却の川に流していくイベントでもあるのじゃないか。

 

戒名 は、 そもそも、 仏弟子 に なる こと を 表明 する という 意味。 それなら、 死ん だ からと いっ て つけ た のでは、 手遅れ です。   死ん だら 仏門 に 入っ た こと に し て、 戒名 を つけ、 位牌 に しるし て、 仏壇 で 仏 として 拝む のは、 家 制度 の 中 で こそ 意味 が ある けれど、 現代 では、 意味 が ある とは 言え ませ ん。 家 制度 は とっくに 崩壊 し て しまっ て い ます。   やり たい 人 は お やり なさい。 けれど、 意味 が ない と 思い ます。

 

橋爪大三郎. なぜ戒名を自分でつけてもいいのか: ブッダの教えから戒名を考える (サンガ新書) (Kindle の位置No.769-773). samgha. Kindle 版.

 

 

 

 年を追うごとに限界家族化の進む団塊世代団塊ジュニアにとって、供養はだんだんホームメイドになっていくのかもしれない。

そういう権威も形式もない、いわば手探りの供養は先にいく人が残してくれるエンタテインメントの種でもある。

思いついたことは全部やってみればいいんじゃないか。

少々気恥ずかしくて普通はやらないことも、供養と思えば思い切ってちょっとやれちゃうし、楽しいもんだ。

そしてそれらが、いずれ残る最後の一人のために死を教えてくれる機会にもなるのだろう。

 

でも、 逆 に 言え ば、 戒名 を つけ ても いい。   この 本 で、 ここ まで 述べ て き た 理屈 が よーく わかっ て いれ ば、 戒名 を つける のも 意味 が ある。   そもそも 戒名 を つける のは、 仏弟子 に なっ た しるし。 これ までの 人生 を 反省 し、 生まれ変わり の しるし として、 自分 で、 ふさわしい 名前 を つけよ う。 あるいは 誰 かに、 つけ て もらお う。 そういう こと だ と 思い ます。   この 点 から 言え ば、 生前 につける のが 一番 いい。 と 言う か、 生き て いる あいだ に つけ なけれ ば 意味 が ない。 ま、 何 かの 理由 で 生前 につけ そこ なっ た の なら、 死後 に つけ ても バチ は 当たら ない と 思う。 それ は 亡き 親 に対する、 子ども の 気持 です。

 

橋爪大三郎. なぜ戒名を自分でつけてもいいのか: ブッダの教えから戒名を考える (サンガ新書) (Kindle の位置No.779-786). samgha. Kindle 版.

 

 

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青栗の下に父娘の二十年