こんなにも広く人気者でもあり、また、神経を病んだ一文学者の心を癒して大文豪へ変身を遂げさせたほどの功績ある猫を水瓶の中なぞで死なせたのは一体何のためか、と読むたびに思ってしまう。
久しぶりに頭から正直に読み進めた。
ずいぶん面白く苦沙弥邸で遊び暮らしていたら、頼みの吾輩君はやはりアッと言う間に成仏してしまったのだ。
わずか一歳ちょっとだ、ずいぶん若い。
感情的な山場を作ってそこに向かって一気呵成に運んでいくような物語ではなく、作家本人が「猫なぞ書こうと思えばいつまででも書ける」てなことも言ってる以上、吾輩君を生かしておいて悪い理由は一つもなかったはずなのだが、なぜ飲みつけぬビールを飲ませ行水などさせたのか。
「うーん、死なせないよなあ。普通に考えてここで殺さないよなあ」
と悶絶はしたが、「誰にも気づかれないままひっそり溺れている」というところには漱石流の教養人の孤独を読み取らないこともない。
たしかに吾輩君、苦しかったろうとは思うのであるが
「太平を得るのだ、ありがたいありがたい」
と思って最後となるあたりは、友も家族もない寂しい猫生をその孤独のまま救ってやろうとしたのだと読めないこともない。
吾輩君贔屓の読者としては、そんな救い方でなくって猫友を作って楽しく暮らしてるところでふわっと終わってくれて構わんぞ、と望みたくもなるが、
作者がそんな上っ面の安穏な作品が目まぐるしい変化の時代の心に響くと思えなかったのであるなら止むをえまい。
多少の切なさを抱えながらありがたく読ませていただくまでである。
読み返してみて、基本的で重要なところがさっぱり分からないことに気が付いた。
吾輩君がどんな猫かってところである。
「吾輩はペルシア産の猫のごとく黄を含める淡灰色に漆のごとき斑入りの皮膚を有している」とある。
なんとなく、頭の中で黒猫のイメージになっていたがどうやらとんだ勘違いだ。
黒猫でなかったのは良いとして、それ以上のイメージが要領を得ない。
「黄を含める淡灰色」というのは、「薄い灰色の絵の具に黄色を少し混ぜたときの色」ということなんだろうか。
それはいったい何色になるのであるか。
あるいは「黄色い毛と灰色の毛がある」という可能性も考えられるが、そうなってくるとずいぶん奇抜な三毛猫(しかもオス)ということになってしまって、想像力が停止する。
「漆のごとき斑」というのも漆に明るくないために不安を感じる文言だが、よもや深紅ってこともなかろうから黒いぶちか。
いや水玉模様もやはり妙だから、不完全な感じの縞模様のことか?
そうなってくると、先日までうちで暮らしていた虎猫、あれが吾輩君のデザインに相当することになるのかもしれない。
あのどこにでもよくいる「最初はアメリカンショートヘアを目指したんだけど途中から有耶無耶になりました」といった風のミックス野良猫は明治の世からいたのだろうか。
そういうことなら、そういうことで、またより一層可愛いぞ。