晴天の霹靂

びっくりしました

『大佐に手紙は来ない』~手紙、来ませんね。

ガルシア・マルケスの作品の中に『大佐に手紙は来ない』という短編小説がある。

大佐に手紙が来ない話だ。

どれくらい来ないかというかと言うと、15年来ない。

政情は安定せず、大佐夫妻の身体は悪くなっていき、大事な息子が死に、15年かけて人生はすでにずいぶん様子を変えた。

コロンビアの暴力の時代に、政治的混乱の中でやむやにされてしまったのであろう、内戦の退役軍人への恩給支払いの手紙は、たぶんもう来ないのである。

それでも大佐は、まるで「大佐が待つ」ということがその町の風景のひとつであるかのように待ち続ける。

不思議な気分になる小説だ。

ただもう、土と雨の匂いのする執念。孤独な人生に援軍は来ない。

 

そんなふうに、心の中のどこかになんとなくひっかかっていた小説の中の人物に、思いがけずくっきりした風景の中で出会うことがあるものだ。

五月も下旬に差し掛かる夕方、郵便受けに入っていたピザのチラシと請求書をより分けながら

「そういえば給付金の申請書って、本当にくるのかな」

と思ったとき、ふっとコロンビアの大佐の姿がよぎったのだ。

 

押し寄せてくるような暑さの中で着古した服を着て傘を手にもった大佐がはしけで郵便船を待っている。

いろんなチラシを手にしたまま、私は急いで孤独な大佐の隣に並ぶ。

「大佐、まだ待ってらしたんですね。来ませんね、手紙」

「金曜日だ。次の金曜日には来る」大佐はゆるぎない声で答える。

「そう、きっと大佐の方が先に来ますね。たくさん苦労されましたもの。」

最後に残されたたったひとつの希望の重さを知っている大佐は、いい加減なご機嫌とりをきっと鼻で笑うだろう。

ああ、それでもいいんです。ここにいてくれましたか、大佐。