晴天の霹靂

びっくりしました

マスクのせいで喧嘩を売った

緊急事態宣言が解除されたところもずいぶんあるとは聞くものの、スーパーへ行くのにも空いている時間帯を考えるのが習慣になり、行ったらみんながマスクをしている風景が普通になり、レジから少し離れたところに立って店員さんが呼んでくれるまでおとなしく待つことが習慣になった。

なんでもあっという間に習慣になるものだな、などと思いながらレジを済ませ、ニシンの丸干しやら卵のパックなんかをマイバックに詰めていた。

 

隣でも母と娘の二人連れが買ったものを、何事か仲良く言い争いながら袋に商品を詰めている。

どうやら重い荷物をできるだけ娘さんが持つと主張しているが、お母さんは持参の大きなリュックがあるのでそちらに入れるほうがいいと思っているようだ。

娘さんもボチボチいい大人で、お母さんもボチボチいい初老のため、はたから見ると娘さんの言うことを聞いておいたらいいんじゃないの、という光景ではある。

 

娘「こっちに入れようよ」母「いいんだって」娘「あ、じゃあ、これ重いからこっち」母「大丈夫だって」娘「じゃあこれ入れようか」母「大丈夫だって」

うるさいとほほえましいが半々くらいの、進捗のない会話を聞き流しつつ私は思った。

「押しの強い方が勝つ」

そしてその直後にマスクを介して伝わる自分の息の生ぬるさを感じて愕然とした。

 

あれ、今の声に出てた?

 

やばいやばいやばい。

隣の見知らぬ平和な母娘によそ見したままいきなり喧嘩売った!

 

しかし、その時私の命を救ったはおそらくマスクである。

さすがにそれほどでかい声ではなかったうえに、マスクのおかげで発声が伝わりやすい状況ではなかったのだ。

もしかしたら、「となりの人、今なにか言った気がする」くらいの声は伝わったかもしれないが、聞き流す程度の違和感だったに違いない。

母娘はほとんど様子が変化することはなく、まだ仲良く喧嘩を続けている。

 

ああ、よかった。よかった。命拾いした。

私はニシンと卵を抱えて猛ダッシュで逃げ出した。

 

しかしあれだな。

最初の信号待ちまで逃げのびてようやく人心地つきながら、私はこうも思った。

いかに私がぼんやり生きてるとはいえ、そうしょっちゅう人中で独白をうっかり声に出すほどしまりがゆるんでいるわけではない。

「これもマスクの弊害なのではないかな……」

マスクは、慣れてくると安心感が出てきて、マスクの内側だけ社会から切り離された孤立地帯のような気分になんとなくなってしまうのだ。

今日はうっかり、口だけが自宅のリビングにいる気持ちのまま目と耳が外出してしまったために身体全体が危険にさらされた。

 

習慣というのは、一つ変わると全然思いがけないところに変な影響が出たりするものだ。

古い箪笥の引き出しの、一番上をぱんっと閉めたら真ん中が反動でちょっと開く、みたいな感じだ。

やれやれ参ったね、と思う一方、こんなことで悩んでるのがまさか自分だけだとしたら、それもちょっと心配だ。