昔から悶々と心に抱いてはいたけど、きちんと正面から向きあわずにやり過ごしてしまっていた問題と、今こそ逃れようもなく向き合わされております。
今、この厳しい時代を生きる私として、チビた石鹸をどうするのか。
だから、「今までどうしてきたのっ?」って言われるとすごく困るんです。
本当にウヤムヤにしてきました。
さすがに捨てたことは一度もないと思いますけど、無理に使い切ろうと四苦八苦していると向こうで痺れを切らして勝手にどこかに行ったり、するものではないですか。
こちらとしてもちょっと扱いに困り始めてたところだからあえて洗濯機の裏を探したり排水溝から拾い上げたりまではせずになんとなく見て見ぬふりする感じになったりなど。
そんな不人情な別れ方を繰り返してきたものです。
今年がまた、おそらく人生で一番手を洗ってる春ですから、この「チビた石鹸問題」がまたなんとなく奥歯に詰まったようについて回っています。
あの、チビたうえに三つに割れてしまったアレッポオリーブ石鹸(頂き物)をどうするのか。
しびれを切らして新しい石鹸を出してしまっているので、お互い気まずくなっているあの石鹸。
洗面台に放置しておくと何かの拍子に床に落ちていたりなどして、「猫が齧ると困るからなんとかしろよ」「はい」と心の上司に詰められ続けているあの石鹸。
思い起こせば母親は古い石鹸を新しい石鹸にくっつけて使う人でした。
むりやり一塊にして使っていると、そのうちに向こうでもなんとなくそんな気分になってきていつの間にか本当にひとつの個体になるんですよね。
困ったことに子どもの私はそれが大変に嫌だったのです。
石鹸と言うのは白くてつるっとしてスベスベしていることが命だという感覚があり、せっかく新品の石鹸に小さくくたびれた石鹸がくっついてしまっていることがゆるせませんでした。
その義憤をもって石鹸受けの上で無理やり一塊にされつつある石鹸を見るたびにめりっと引きはがしていたものです。
もちろん、次の手洗いタイムまでにはその石鹸はまたひとつにまとまり始めてるわけで、はがす、くっつける、はがす、くっつける、と、どちらかが諦めるまで繰り替えされるまさにそれは無言の攻防でした。
そうして、その義憤と戸惑いを持ったまま大人になってしまったのであります。
ところでこの全体主義監視社会はエライもので、先日Amazonからこんな意外なことを言ってきたのです。
「石けん生きカエル」と。
とりあえず、「こちらから相談したわけでもないに人の頭の中を勝手に覗くな」とは思いましたが、その話題はいったんさておき。
スポンジが袋状になっていて、中に小さくなった固形石鹸をいれれば泡立ちよく最後まで使える、という商品ですね。
ははーん正解を出してきましたね、と思ったものです。
さっそく。
うちはだいたい台所スポンジ5個百円くらいものを買いますのでストックがありますから、その安物スポンジをひとつおろしまして、横にカッターで切れ目をいれます。
そしてその隙間から、あの気まずいチビ石鹸を収納してみました。
このまま、これはお風呂場洗うとき用に最強とみた。
長年にわたるチビ石鹸との闘い、ついに収束なるか?
という、今日はそんな私史上記録に残るであろう衝撃の一日でした。
永らく和解が困難だったこの関係を乗り越えて、石鹸は生きカエルのか。