Netflixで革命期のロシア物と言えば『ラスト・ツァーリ: ロマノフ家の終焉』を見たばかり。
『ラスト・ツァーリ』 ~死なない朗らかさかを見て行こう - 晴天の霹靂
どうも色々凡ミスがあったせいで評判は微妙だったようでありますが、私としてはラスプーチンの異様さが気に入ったので結構楽しんで最後まで見ていました。
そうは言っても「ロシア人がロシアで全員英語をしゃべっている」というタイプのドラマはやっぱりいろいろ違和感を感じるところではありました。
すごく再現度の高い、時代背景に気を使った映像であるように見せつつも、一番大事なところは致命的に換骨奪胎してしまっているのだと感じないではいられない。
その点、ちゃんとロシア語でやってる時点でこのドラマ『トロツキー』に対する信頼度は最初から高く、安心して話の内容に集中できます。
「トロツキーといえば、オーウエルの小説『1984年』で言えばゴールドスタイン。ようするに裏切り者キャラでしょ?」
という程度のざっくりした認識しかないので、革命の理想を胸に抱いた頭脳明晰な青年時代から、反逆者として暗殺されるまでを丹念に追うだけでそもそもが興味深いのです。
革命前、パリで勉強していた時代。
さすがに創作エピソードだろうとは思いますが、当時ヨーロッパで大流行していたフロイトの講義を聞きに行く場面があります。
人の行動原理をなんでもかんでも「性欲」だけで説明して得意になってるフロイトに向かって、論点の矛盾を突きつける青年トロツキー。
「我々は二時間夢中になってこの講義を聞いたが、あなたの理論では我々は全員あなたに欲情していたということか?」
返事のしようのない質問で追い詰めておいて、
「あなたは正しい。人生はパラドックスだ」
と恥をかかせないように最後は取り繕って別れるのです。
このシーンのあと、トロツキーは大衆心理を掴む演説がいきなりうまくなるのです。
フロイトのパラドックスから何を掴んだのか、トロツキーは言います。
「大衆は女と同じだ。強い男にたちまちその身を任せてしまう。」
全方位的に侮蔑的なのでちょっと書くのもはばかられるような言葉じゃありますが、ものすごく面白い言い草です。
理論的な矛盾には気づいたけど、フロイトのノウハウの魅力はフル活用。
ムカつくけれど魅力的な男が仕上がってしまいました。
と言うわけで、まだ鑑賞中につき革命はこれからなのですが、続きも大変楽しみです。