我が家の猫たちはぬいぐるみが好きだ。手頃なサイズのぬいぐるみを抱きしめて後ろ脚で強めにキックを入れるのが猫界ではちょっとしたブームなのだ。
彼等の一番のお気に入りはペンギンのぬいぐるみである。二匹でさんざんかわいがった挙句、ペンギンさんはついに足がやぶれ中のパンヤが見える状態になってしまった。
もちろん捨てるわけにもいかないし、しかし放っておいて布やらパンヤやらを誤飲されても困るので、不器用ながらも一応繕ってみることにした。
ぬいぐるみを直すなんて、はじめてのことだ。ああかこうかと考えながら不器用なりにほつれた裂け目をふさいでいると、何やらいい気分になってくる。
これは今、頭の中で今まで開けたことがなかった引き出しが開いているぞ。なんだっけか。
頭のいい、心の優しい女の子が夜寝る前にたくさんのお人形をベッドに並べて遊んでいるのだ。
「さあこれでもう大丈夫よ。明日になればすっかり元気になるわ。さて、じゃああなたは、手の具合はどう?」
寝る前に様子を見に来たお母さんがドアの外でその声を聞きつける。
「あらこんな時間にお友達がいるのかしら、その子はケガをしているようだけど?」
不思議に思って部屋に入ってみると、女の子はたくさんのお人形の壊れたところに手当てをするのに夢中になっている。それを見たお母さんは我が子の心優しいのにちょっとほだされつつも、もう遅いから寝なさい、というようなことを言う。
西洋のいいところのご家庭って、こんなにお上品で優し気なのか、と感動し、包帯を巻いてやれるくらい立派なお人形がたくさんあるということに衝撃をうけたものだ。頭の中にあるこのシーンは、はたしてなんだろう。
ペンギンの足をピンクの糸で縫い続けながら考える。
人形のケガにも心を痛めるような優しい女の子は、のちに看護婦になったのではなかったか。
と、すると……ナイチンゲールだっ。
子供向けのナイチンゲールの伝記の中のワンシーンだ。あの本は誰かにもらって我が家にあったのだったろうか。こんなに雑な性格の私であるのに、お人形を直してあげるというシーンがどうしたわけか好きだったのだ。
看護婦さんになりたいとは全く思わなかったようだが、「直す人」に対するあこがれはあの時すでにちょっとあったのかもしれない。ずいぶん、懐かしい。
ついでにもうひとつ、ペンギンの足を縫いながら記憶の引き出しから出てきたことがある。
ナイチンゲールを読んだ私は、母にも新しい知識を教えてあげようとおもい、張り切って言ったのだ。
「ねえねえ、看護婦さんって昔はいやらしい人の仕事だったんだって」
「いやしい人でしょ」
「……。」
いやしいといやらしいの区別が、微妙についていなかったものの、我ながらずいぶん残念な印象だけは強かったので、結構鮮明に覚えている。
今考ると「いやしい人の仕事」っていう表記もあんまりだが、本当にそんなこと書いてあったんだろうか。
そんなことを考えているうちに何か夢のように心地よい時間が過ぎ、件のペンギンは一応、元気になった。
はい、できたよ、猫たち。これならまた一緒に遊んでも大丈夫でしょう。あんまり強く噛まないであげてね。
優しいふりをして誘ってみるが、猫はこっちのナイチンゲールごっこにはのってくれないのである。
ぺんなんだよ、30年ぶりくらいの人生の伏線回収なんだからちょっと付き合いなさいよ。