晴天の霹靂

びっくりしました

能町みね子『結婚の奴』~わかるわかる、あいつ本当に腹立つよねー

エッセイってのは、どこから読み始めてどこで読み終わっても心の負担にならず、読み終わったらすぐ忘れ、毒にも薬にもならぬのがよい、と思い込んでる節がある。思い込んでるどころか、かなり信じ込んでいる。一見毒にも薬にもならないものが、本当に疲れてるときの人の心をどれだけ救うことか。友達との無駄話のように、意識にも上らぬうちにさりげなく心をいやすエッセイこそ尊い、と思う。

 

とはいえ、久しぶりに読み始めたら止まらなくなって「ああ、もう色々やることあるのにっ!」となどと時々思いついたようにつぶやきつつ最後まで一気に読んでしまったエッセイだった。

結婚の奴

結婚の奴

 

 能町みね子氏は私の二歳年下、ほぼ同世代。だからタイトルだけでもちょっと想像つくのである。

「あの結婚の奴、ほんとイラつくよねー」ということが。

 

いやどこがどういうふうにイラつくとか細部に対してはもちろんいろんなニュアンスが違うのはわかっている。そりゃそうだ、バックグラウンドも全然違うし、他人だし、年が近いくらいのことでそんなもの全部同じになるわけはない。

 

だがアラフォーになって未婚だと「結婚の奴」はやたらあちこちで肩をぶつけてくるのは確かである。こちとら、最初から価値観が合わないのがわかってるから、できるだけ避けて通っているにも関わらず、いたるところにそれはいて、すれ違いざまに付きあたってくる。なぜそっとしておいてくれないんだ、結婚の奴、私があんたに喧嘩売ったことが一度でもあったかね?

 

「結婚してないの?彼氏はいるんでしょ?男はもうこりごり?(にやにや)」

というような出会いがしらのあおり運転に、こちとらどういう対処のしようがあるというのか。

「私は普通に暮らしているだけであり、自分の生活に人として欠けているものがあるとはまったく思っていないので、自虐がてら下手に出ないと成立しない方向からのコミュニケーションを強制するのはやめていただいてよろしいでしょうか」と返すと、これはきっと角が立つのだ。

そういうことを言う人は私がどういう価値観をもっているかに関心があるはずがないのでそんな面倒くさいことを言われる筋合いはないと感じるだろうし、こちらもすれ違いざまの人にそんな面倒くさいことを言う気力がわかない。これではお互いがただ迷惑なだけだ。

これはきっと誰にも悪気はない。「結婚の奴」が現実にぜんぜん追いついてない老害としてそこここに生息してるからこそ、細かいコミュニケーションを取るのが苦手な人がそれをぶんぶん振り回しながら何らかの型に人を落とし込んで手っ取り早く低燃費な会話を成立させようとしてしまっているだけなのだ。

ここはひとつ自意識などぶん投げるのが正解か。「そうなんですよー。ぜんぜんもてなくて。いいオトコいませんかねー。それとももしかして私と結婚してくださいます?げへへへっ」とやっておけばその場は円滑なのだろうか。

ぞっとしないか?ぞっとする私の感性がおかしいのか?社会性が低すぎる?本当にそれ正解?いやん。

 

このストレスを回避するためだけに結婚する人は実際結構多いのだろうなという気はする。むしろ、こういうストレスを与え続けないと人はあんまり結婚しないのかもしれない。

でも結婚によらなくても、血縁によらなくても、人類って自然とある程度身を寄せ合って暮らすものなんじゃないか。じゃあ、もうそれでいいんじゃないの。むしろ「結婚の奴」はなんのためにいまだに旧態依然とした姿であちこちを肩いからせて歩いてるんだ。

 

なんとく「結婚」とよばれてきたもやもやするパッケージの中身を全部取っ払って自分たちに必要な「寄り集まって暮らす感じ」を選び出し、そのカスタマイズした生活スタイルにあらためて「結婚」というラベルを貼りなおして実践した記録がこの『結婚の奴』である。

トランスジェンダー能町みね子さんと、ゲイのサムソン高橋さんの、恋愛とセックスから切り離した共同生活を、SNSからはじまって、摩訶不思議なプロポーズを経てだんだん家族らしくなるにいたるまで、つぶさに描いている。

 

こうやって淡々と記されてみると、恋愛感情を持つ相手でなくても、性的欲望の対象でなくても、人と知り合い、距離感をたしかめ、傷つけなかったか嫌がられなかったかなど心配しながらお互いの存在感に慣れていく過程は恋愛の記録にもそっくりでもある。

当然のことながら、人と親密になるのに特別恋愛は必要ないのだ。

 

結婚にいたる一部始終を書いた文章の中に唐突に、友人のライターの雨宮まみさんが急逝した時の話が出てくるのも、息をひそめてのめり込まるように読んでしまう。大好きな友人がいきなりなくなってしまったことで怒りばかりが湧いて感情が制御不能になってしまう、それは自分にとっては「恋愛だったのかもしれない」という、不意打ちの文章である。

「恋愛感情」も「性的嗜好」も「性自認」も「結婚」も、全部が世間でパッケージングして流通しているものとずれているのはいるのは大変だろう。ちょっと道に出ればどちらを見ても出会いがしらに煽り運転してくる奴ばかり、になるに違いない。

とりあえずこの度は「結婚の奴」を自分たちに都合のいいようにカスタマイズすることがぼちぼちうまくいってるようなので、オールドタイプの「結婚の奴」に煽られても、「あ、自分の結婚の奴はもうコレなんですいません」と、たいして角を立てることもなく楽にスルーできるようになっただろうか。

 

何もしないでこたつで本読みながら「結婚の奴ほんとムカつくよねー」とか言って楽してるだけの私がタダ乗りでこんなこと言うのも本当に無精の極みだが、でもやっぱり新しい顔の「結婚の奴」が世間に一人増えたってことは、本当に希望ある嬉しい知らせなのである。

あと文章うますぎる。