晴天の霹靂

びっくりしました

『赤と黒』と『ハツカネズミと人間』~私の中の格差小説ブーム

『パラサイト 半地下の家族』が面白かったので私の中で格差文学ブームが起こっていた。

家庭教師からはじめる階級上昇野心物の古典といえば、スタンダール赤と黒』。長いけど、面白いんだな、やっぱり。

赤と黒(上) (新潮文庫)

赤と黒(上) (新潮文庫)

  • 作者:スタンダール
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1957/02/27
  • メディア: 文庫
 

 赤と黒といえばジェラール・フィリップが演じたジュリアン・ソレルの印象が強いが、実際読むとそのイメージよりもはるかに若い。19歳で田舎貴族の家庭教師として登場し、野心に燃える大活躍の末、死刑になったときでもまだ23歳。

 

職人の家で貧しく育ち、家庭教師になってはじめて訪れた貴族の家構えにビビって門の前に立ってべそをかいていたためにお百姓の娘だろうとまちがわれたという話まで出てくるのだから、ジェラール・フィリップとはだいぶ印象が違う。 

赤と黒 デジタル・リマスター版(字幕版)

赤と黒 デジタル・リマスター版(字幕版)

  • 発売日: 2018/07/20
  • メディア: Prime Video
 

 どう考えても、役者本人も、脚本家も、監督も「…たしかに男前だけど、どうも違うよな」と首をひねりながら撮ったんだろうと思うとおかしい。

田舎育ちで世間知らずで愛に恵まれずに育った野心溢れるティーンエイジャーだから、性格悪いともいえるが若さゆえの生命の輝きに満ちて見える数々の素っ頓狂な行いも、30前後でやってるとなると受け取り方に困るってものだ。

 

材木屋を営むマッチョな家系に生まれて父と兄からいじめられながら育ち、それでも頭の良さでなんとか嫌な家庭を出る足掛かりをつかもうと孤軍奮闘するジュリアン・ソレルは行く先々で女性に愛されることで有利に事が運んだり、ひどい目にあったりする。

一見すると、頭がいい上に美男子だったせいで首尾よく愛されたかのように見えなくもない。

 

しかし読んでいくと、女性たちとジュリアン・ソレルの間には、排他的な男社会にいて、そこから排除される身でありながらもおもねったりへつらったりする以外には生きていく術がないというやりきれなさを共有している点において強い連帯がある。

だからジュリアン・ソレルが貴族階級の女性たちからはじめて人がましい言葉をかけられて素直に感激してしまう様子を読むのも、女性たちがジュリアン・ソレルの中に身分や性別を笠に着て自分を馬鹿にしてこない男を見出して自意識が変化する様子を読むのも生き生きしていて楽しい。

彼と彼をとりまく女達は既存のシステムの中で恋愛を結実させることはできずにみんなそれぞれ不幸にはなるが、やり切った感はあるだけに案外明るい話であるように思う。

 

 

 

その点、「格差社会の中でもとりあえずやり切る」というスタート地点までたどり着けず猛烈に切ない読後感を残したのが『ハツカネズミと人間』だ。 

ハツカネズミと人間 (新潮文庫)

ハツカネズミと人間 (新潮文庫)

 

 大恐慌時代のカリフォルニア州、農場を点々として暮らす出稼ぎ労働者レニーとジョージの話である。

レニーはおそらく軽度の知的障害があって自分の気持ちを人に説明することが難しいうえに、きれいなものやふわふわしたものを見かけると、ぎゅっと握ってしまうという癖がある。

女性の服なども触ってしまうのだが、怪力の大男なのでそもそも怖いうえ、取り繕ったり悪気のないことを説明することもうまくできないので、そのたびに事件になる。そのせいでジョージとレニーは一か所で長く働くことができず、事件を起こすたびに逃げだしては別の仕事を探す羽目になるので生活も一向に安定しない。

 

そんな生活の中でもふたりは牧場でであったそれぞれ孤独な貧しい労働者たちとともに血縁によらない共同体を作って安定した生活を手に入れるという束の間の夢を見る。「万引き家族」的な弱者の連帯である。生まれてはじめて夢らしい夢を思い描けたことに孤独なおじさんたちは夢中になる。しかしそんなささやかな夢も結局レニーが牧場主の嫁のドレスを触ってパニックを起こしてしまったことから、絶望的な破たんを迎える。

結局はいかなる連帯も完成しないまま、孤独と貧しさからほんの少し救われる夢を持ち続けることさえできずに、物語は終わる。ただただ悲しい話なのだが、とても好きな話である。

 

「レニーがジュリアン・ソレルみたいにイケメンで頭が良かったらもう少し幸せになれるんでしょ」と言えば、非常に現代風の愚痴になる。だけどそういうところに落としどころをもってきても、結局レニーはいっこうに救われない。

次、もう一回読んだら今度こそレニーは幸せになってるんじゃないかと思って、ついまた読みたくなる格差小説である。