『麒麟が来る』の一話を見てみましたよ。
衣装が主役でしたね。野盗の襲来を受けた村からわーっと民衆が逃げだしてくるシーン、画面の四方八方から目を奪われる彩度のモブがワラワラ出てくる感じには、時代劇ではみたことのないマジックリアリズム感があって、それは楽しかったです。突然ミュージカルにとって変わりそうな勢いでした。
色が目立ってましたが、質感もあまりみたことない感じに見えました。長谷川博己の袴など、そのまま寝間着にできそうな優し気な布で、田舎の武士という設定を強く出す一方でこんなに雅なものをあえて着ているのか、と印象に残ったり。
画面の隅々まで鮮明に見てもらいたい、というのを全面に出す衣装設定というのは「明らかに4K促進プロジェクトであるな」というくらい露骨には見えます。
そういう鮮明な画面になると、よく見えるのって「見せたいところ」だけではないとも思うんです。建物とかは、もうちょっと変わり映えしなくて大丈夫なのだろうか。なんか落書きがあるとか。汚れてるとか。あるいはいっそ不自然に綺麗にするとか。なんとなく衣装がカラフルになったぶん、建物がよりペラペラになったようにも見えて、これはなかなか難しいものだな、と思いました。
話の方はまあ、今回は若き光秀が旅に出て今後重要になる人物を一通り視聴者に紹介するような回だったのでしょうか。
吉田鋼太郎のキャラクターが素晴らしい、堺正章はちょっと悪目立ちの部類に入るのではないか、長谷川博己が一部ターミネーターっぽくなってた、などの情報を画面からキャッチしました。
昔読んだ本。 今手元にないのでうろ覚えになってしまうのですが興味深いことが書いてありました(確認できないので間違えてたらお恥ずかしい)。
『源氏物語』なんかの王朝物語を読んでいると、貴族がしょっちゅう「雨が降ってるからデートにいけない」ということをこの世の終わりみたいに嘆くのを見かけます。台風が来ても会社に行くでお馴染みの現代人から見ると、「どうせ牛車で庭まで乗り入れるんだから気取ってないで行けばいいじゃん」と思うところです。
この本によると、当時の染色技術では色止めが難しかったので濡れると実際大変な目に合ったのだそうです。たしかに、考えてみれば染めることより色落ちしないようにすることの方が技術的に高度な気はします。
平安と室町末期では染めの技術もだいぶ進歩はあるんでしょう。一緒にはできませんが、それでも平成の世にユニクロの普及しはじめたころだって、買いたての色物は恐ろしくってほかのものと一緒に洗濯機にいれられないくらい豪快な色オチしていたことを思い出すと、仮に戦国時代にあんなに蛍光に近いくらい鮮明に染色できたとしても野戦で泥にまみれて駆け回っても無事にすむほど安定させるのは難しかったのじゃないか、くらいの想像はしてもいいように思います。
そうすると、もう画面自体あんなにこぎれいにしないで、カラフルな染料飛び散る中で野戦したり、生活したりする光景ってのも、いっそ4k的に賑やかでいいよなあ、とか。
そういう無駄なことをいろいろ考えられるのは楽しかったです。