六歳男児が遊びにきた。
一応、彼については生まれたころから知っているので、こちらとしては「へいキッド、君については何でも知っているんだぜ」くらいの余裕の目線で接近を試みる。しかし、彼等は興味の旬の足が早すぎるため、何の話をしているのか把握する前にその話題が終わってしまい、ことごとく尻すぼみに終わるのだ。
逆に暴投気味で「最近どう?」みたいな極めて雑な質問をすると、意外とちゃんとわかることを教えてくれたりする。
近々漢字のテストがあるので緊張してるのだそうだ。あと、日本には昔ワニがいたそうだ。真偽のほどと情報源までは確認できなかった。
生存が危ぶまれるほど集中力にかけているのにカードゲーム「イチゴリラ」をやると、まったく太刀打ちできないほど強いには驚いた。
ようするに神経衰弱なのだが、紛らわしい絵柄のカードが複数種類入っているうえに、五枚集めないと取れないカード、四枚集めないととれないカード、などルールがひねってあって、よりイラつくルールになっている。こちらが自分の記憶力の欠如にいらついているのをよそ目に、奇声を発したり動き回ったりしながらいい加減にやってる六歳児が苦も無くクリアするではないか。
考えてみれば、自分も子どものころ神経衰弱のようなルールは大人よりも強かった。うっかり自分の頭がいいのじゃないかと思い込んでしまった節があるが、どうやら子どもは短期記憶がやたらに得意ということだったのではないか。あんなに苦もなく物を覚えられては、こちらの人生切なくなる。
ナンジャモンジャ、というゲームもだいたい互角で盛り上がった。
12種類くらいのキャラクターの書いたカードがある。重ねて伏せたカードを上から順番に一枚ずつめくっていき、新しいカードが出たらめくった人がそれに名前をつける。次に同じカードが出たとき名前を最初に言えた人がカードを取る。多くのカードをとった人が勝ちというゲームだ。
これも自分で変な名前を考えるのも楽しいようだし、名前を覚えるのも得意だから盛り上がった。
ゲームというのは、偉大な発明だ。
凝ったものなどなにもなくても、とりあえずあまり文脈を共有できない人とちゃんと盛り上がれてコミュニケーションのきっかけをつかむことができる。
コミュニケーションというのは、こういう「わー、きゃー、どーん」みたいなことでちゃんとハートウォーミングに成立するのだ。そうか、いいんだな、これで。
最後に、無理に誘われて近所の公園で雪合戦をした。何もない公園で雪で遊ぶのは何十年ぶりか。寒いのにいつまでも遊ぶから、どこまで付き合っていいのか加減がわからずに付き合ったら、いきいなりエンジンが切れてぐずりだした。わからなすぎる。猫でももうちょっと先を読んだ意思疎通が図れるものなのだが。
とにかく、幼児の奇襲に備えるにはシンプルなアナログゲームは本当に役に立つ。そして彼等は遊ぶときに「帰りの体力を残しておくという知恵」を持たないから、充電残量に気を付けておいたほうがいい。疲れた。